多読で受験! 常識をひっくり返すのは気持ちがいい・・・

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いくら口を酸っぱくして言っても、頭の固い人には通じないのですが、
頭は固くないけれど、まだ納得していない人には
こんな実例もいいかも知れない。

今回は学校で必ず耳にする「勘で答えちゃだめ、ちゃんと考えて答えて!」
という常識をひっくり返すことにします。

で、多読・Tadokuの非常識は・・・

「試験は考えて答えてはいけない。勘で解く!」

です。それがとてもよくわかる報告がありました・・・

6月末に、ある人から受験支援について相談を受けました。
簡単に言うと、多読支援をしてきた高校3年生が
「長文が苦手」と言っている。このまま多読だけ続けていいのだろうか。
それとも精読の支援もした方がいいだろうか」
という質問でした。

常識では、そういう場合はいわゆる精読の指導をしたくなると思います。
「重要構文」を何度も書かせたり、「重要単語」を暗記させたり・・・

多読を何年か続けているのに長文が苦手というのはどういうことだろう?
といぶかりつつ、わたしは常識では考えられない提案をしました。
以下、かいつまんだものですが、Facebookのダイレクト・メッセージの
やりとりです。

進研模試は、○○ちゃんから受け取ってから送ります。
レッスンでセンター過去問の長文のみ(問5が5問と、問6が9~10問)を目の前でやってもらった結果のみ、お知らせします。

6月の2回は、正解率28%、35%。
6月末に先生[さかい]に受験指導相談に乗ってもらい、先生から「十分読んでるのに点が取れないのは
おそらく文法解釈しながら読んでるから。」と言われて、
先生の指導に従って、○○ちゃんに
「長文問題は、早く読んで早く解いて!そして勘で答えて!」と
アドバイス。
7月以降の正答率は、53%、そして71%に大幅アップ!
時間も早くなりました。本人いわく勘で解いてるとのこと。

これを読んで、わたしはすぐにブログで引用したいとお願いしました。
でも、相談主の「ある人」は慎重に、
「もう1回解いてもらって、確かめたい」
という答え。

そしてきょう、もう1回解いてもらった結果を送ってくれました。

昨日解いてもらったら、前回と同じく14問中10問正解で、正解率71%でした。時間は最初の頃の半分近い時間です。まぐれじゃないみたいですね。私もびっくりです!

勘でパパッと答えた方が、じっくり考えて答えたときよりも正解が多い!?
6月からの経過は次のようでした。

***** 問5    問6    合計    正答率 *****
6月  4日    0/5    4/9      4/14    28.5%
6月11日    2/5    3/9      5/14    35.7%
7月  9日    3/5    4/10    8/15    53.3%
7月16日    3/5    7/9    10/14    71.4%
7月23日    3/5    7/9    10/14    71.4%

まぐれじゃなさそうですね。
それにしても、たった一月(6月11日から7月9日)で
時間が半分になり、正答率が2倍以上になったーーこれは何の結果か?
そんな「勉強」はあるはずないし、実際別に勉強したわけではなく、
ただ、体に染みこんだ英語の知識をそのまま発揮できるようになった、
ということだと思われます。
速く読んで勘で答えた結果だと言っていいでしょうね。

それにしてもこんなにきれいに「速く読んで勘で答える」やり方の
結果が出るとは、うれしいことです。
わたしは多読している受験生によく言います。
「あなたの文法や単語の知識より、多読で吸収した知識の方がはるかに
頼りになるよ。だから考えちゃダメ、サラッと読んで、パッと答えるんだ」

今回の実例の話はそこまで。

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ここからは常識をひっくり返す気持ちよさについて・・・

どこで書いたいたのか忘れましたが、受験英語の神様と呼ばれた
伊藤和夫という人が
「じっくり考えてわからない英文を速く読んで分かるはずがない」
と言いました。これは世の中の常識でもありますね。

わたしはまったく逆です。多読を言い始めるずっと前から
「さっと読んで分からない文はいくら時間をかけても分からない」
と言っていました。

そのころ、同僚の英語の先生たちに
「辞書を引いて、考え考え読んでいるようでは本当に読んでるとは言えない」
と文句を言っていましたが、もちろん彼らはわたしが何を言っているのか、
理解不能だったことでしょう。

わたしが言いたかったことは、作者が書いているときは、
普通の読書の速さで読むことを想定して書いているはずだから、
辞書を引いたりして、何週間も、ときには何ヶ月もかかって「読む」
なんていうのは、読書にならない、ということでした。
読書なしに文学鑑賞や研究ができるはずはありません。

今までの辞書と文法を使った英文読解は、普通の速さとリズムで録音された
文章を、何倍もの長さでゆっくり再生するようなものです。
とても原文の勢いやリズムや雰囲気や内容を感じ取ることはできないでしょう。ときにはことばとさえ聞こえないかも知れません。

多読で普通の読書ができれば受験にもそのまま通じるーーなんてすっきり!
これが非常識だなんて・・・