多読支援はつらいよ いや、それでいいんですけどね・・・

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多読・Tadokuの手伝いで厳しいことが一つだけあります。

(多読・Tadokuそのものにはほかにはほとんど厳しいことなどありません。あるとすればそれは外側の要因がもたらした障害です。)

それはずばり 進歩を実感しにくいこと 。
「多読のパラドックス」の中でも支援ではとても大きな項目ですね。

「続き」に実例を挙げますが、結論を言っておくと、
道の途中で進歩を実感できないことこそ多読の本質なので、
多読・Tadokuのお手伝いをする人は、それは大前提と考えなきゃいけない。

多読・Tadokuのお手伝いはきびしーのです・・・

実感できる場合がほとんどなんですよ、特に社会人の場合は。
でも、一人でTadokuしていて比較の対象がいなかったり、
いても学校の試験だけで進み具合を判断していると
多読している自分がまわりの人とどう違うのか、わかりにくいのですね。

で、実例①。電気通信大学でわたしの多読授業に出ていた Nさん。
講演でよく話題にする人です。

Nさんは絵本から始めてきわめて順調に読み進めて、必修の単位は取ったあとも、
わたしの研究室に来て本を借りて、読んでました。3年生から4年生になるころには
おとな向けのペーパーバックも平気で借りていくようになっていました。

そのNさん、卒業式の日にわたしの研究室に現れて、卒業しますという
挨拶をしたのはいいのですが、多読授業ありがとうございました、とは
一言も言わないので、わたしは言いました。
「Nさん、すごいね、ペーパーバックをさらさらと読めるもんね」
するとNさんは首をかしげて、
「そうですか?」
というばかり。

(要するにわたしは「酒井先生のおかげです」と言ってほしかったんですね。)

そこでわたしはNさんに、
「あなたの友だちにペーパーバックを渡したら読めると思う?
最初のページを見ただけでやめちゃうよ」
といったのですが、心中は upset、じきにcross になるあたり。
それなのにNさんは
「だれでも読めるんじゃないですか?」
と・・・

わたしは心の中で「この恩知らず!」と思いながら、
そこは抑えて、
「どうして自分が特別なことができると思わないの?」
という意味のことを尋ねました。するとその答えが多読そのもの
だったのです。
「だって一度も苦労しなかったから」

「楽しいことだけをやる」というのは多読三原則の真意ですからね、
Nさんの答えは実に多読の王道なわけです。
進歩なんてわかる必要はない、楽しければ続くし、楽しいからこそ身につく。

Nさんとのやりとりは6年か、7年くらい前になるでしょうか。
以来同じ経験は数知れずしてきました。
特にNPOの講座では進歩が速いので、4年間にどれほど「自覚なき進歩」を
見てきたことか・・・

そしてきのう、いちばん新しい「恩知らず」の報告が届きました。
一気に読んでいただきます・・・

今日、M君のレッスンがあって、GTECの試験、学年で18位だったそうです@@!自分でびっくりしてました。(びっくりばっかり。。^^;)リスニングは満点だったとか。この3年、アニメの漫画、ドラマ、ハンガーゲームとかスパイダーマンとかをうちで週一度見てただけなんですけどねぇ^^;)

Mくんについては前から報告をもらっていました。
一言でいうと、Tadokuをしてきてずいぶん英語が使えるようになっているのに、
学校の成績が振るわないので、自分は英語ができないと思い続けていたようです。

それがGTECという外部試験ではとてもよい成績だったというわけです。
たまたまこの現象(?)があること--学校の定期試験では振るわず、
外部試験では好成績--は、ほんのちょっと前にわたしの多読講演会で
Mくんも聞いたばかりだった。学校の定期試験には二つ具合の悪いことがあります。
一つは、試験を作る先生があまりに英語を知らないことがある。(実はよくある。)
もう一つは、英語がどうのこうのではなく、先生が授業中に言ったことを
暗記しているかどうかの試験になっている。(もし、「習ったこと」以外を定期試験で出したら、授業をちゃんと聞く生徒が
いなくなってしまう。「試験に出るぞ!」と脅してやっと授業をやっている場合です。)

あと、洋画やアニメの他、10分ちょっとは毎回、何かの本、絵本とか、
GRとか、レベル的にはそれほど高くないのを毎回オーバーラッピングはしてます。
今日も、映画を見た後 ”普通、お勉強だけしてる人は、こんなの字幕なしじゃ
見れないんだよ。楽しめなくて見てられないんだよ”って言ったら
”うそだ”。。。
でした。^^;)まだまだ自覚が足りないようです^^;)

まったく電通大のNさんと同じだ!
もっともM君の場合「多読」はあまりしていないようですね。
けれどもMくんが好んでやっていることはTadokuですね。絵と一緒に音を吸収している。

久しぶりに、今日は一緒に絵本を読んだのですが、
”ああ~、こういうの久しぶりだ。いいな~”っていいながらずっとながめてました。
教科書の英語ってこんなのとは全然違いますね、硬いですよね。って。
しばらく絵本から遠ざかって、絵本の良さがまたわかったようです^^

ま、そのまま続けていれば、いつか自分は特別と分かるでしょう。
その時にありがとうと言ってくれるのを待つしかない。
多読三原則を一言でいえば「楽なこと、楽しいことだけする」なのだから、
「苦労する木に花が咲く」文化の日本では、楽だけしていたのでは
進歩はなかったことになってしまう。そしてそれは、それはかならずしも
多読・Tadokuの最中ではないらしい。「いつか」なのですね。

Nさんからはまだお礼のことばはいまだにない・・・
いや、便りの無いのは良い便り、なんですけどね・・・
ですけどね・・・

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