キリギリスとアリ 第三部
2009年7月16日
カテゴリ : 多読的ライティング
タグ: 多読的ライティング, 文法
「雫」さんからご意見をいただきました・・・
相変わらず独立独歩であります!
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アリとキリギリスのお話を読ませていただきました。
>まじめさはきちんとと結びつきやすく、
きちんとは正確さと結びつきやすく、
正確さは間違えないようにに結びつきやすく、ふむ。
たしかに、最初からきちんと正確に書く、読む、聞く、話すこができたら良いの
ですが、正確さが枷になってしまって、機会やチャンスを逃してしまうのなら、
最初はきちんとすることを前提にしなくても良いと思います。
まず、英語を英語のまま楽しくたくさんのものを読んでみようというのも、そういう
目的がひとつとしてあると思います。山岡さんの街で遊んでいるうちに何とか話せるようになったというのもわかります。
では、どこからきちんとすれば良いのでしょう。
何とか話せるようになったら、次はどうすれば良いのでしょう。
そのような位置にいる人が増えているのではないでしょうか。
必ず、その位置にきます。私の言う「きちんと」はcorrectly Englishという意味ではありません。自分の言いたいことが相手に伝わるのかはcorrectly Englishだけでは無理だし、かといって勘に頼る文章も伝わるかは謎です。ですが、どんな言い方にしろいつか壁をどうよじ登ろうかと考えあぐねて足がこの位置で止まってしまう人はいるはずです。それを「多読の限界」と言われても仕方がないと思います。私はそうは思わずに、「自分はどうしたい?何がしたい?」を自分に問いかけて、ごく最近まで足が止まっていましたが。
あれ、私はもしかして「多読」から卒業したのでしょうか。
躓きながらも、おぼれながらも、凹みながらも先へ進もうとするのは学生を卒業して社会人になったようなもんでしょうか。
のわりには、English Vocabulary in Use Elementaryを始めましたが。はっはっは!>「正しい、正しく」を追求する文科省とおなじ路線上であれば、トレーニング、ドリル、継続は力なり、コツコツ、不断の努力-- こういった美辞麗句(?)はお払い箱にした方がいいかもしれません。
正しくあることを追求することは必要ないと思うし、努力という言葉もいらないと思います。ライティングのサイトだって努力や根性で頑張れなんて言われません。そもそも人にあまり頑張れって言うことが英語ではないのかも。
keep goingは良くいわれるけど(笑)でも、これはどんどん間違っても書くぞ~!という私の姿勢を指しているのであって、限定されたことを継続せよと言っているわけではないととらえています。
英語はまだ恵まれてますね。ドリルやトレーニング本がたくさんあるだけ。
ない他の言語はどうなるのでしょう。それこそ、材料を探すところから個人の努力と財力になってしまいますね。だからフラ語なんて無理だったんだー(笑)
ということは、ドリルやトレーニングが悪いというわけでもない。
これもまたチャンスであり、機会であるのだから。
どう使っていけば良いのか、また自分の現状にどのようなものがあっているのかを見つける力が英語も他の言語も必要になってくるのでは…。私は人に押し付けられてEnglish Vocabulary in Use Elementaryをやっているわけではありませんが、今回、NEOさんに壁の前で足が止まっている自分の状況をを聞いて頂いて、このような方法を見つけました。
うむ。やっぱり私は「多読」という型(とは今まで思っていなかったけど)から卒業したのかな。
あ、先生から「正しい答え」をもらおうなんて思ってませんよー。
何が私にとって正しいのかは、私が決めることですもんね。
いろいろわたしの意見を書き添えたいところが多いので、もう一度貼り付けた上で、
少しずつ意見を述べます。
アリとキリギリスのお話を読ませていただきました。
>まじめさは きちんとと 結びつきやすく、
きちんとは 正確さ と結びつきやすく、
正確さは 間違えないように に結びつきやすく、ふむ。
たしかに、最初からきちんと正確に書く、読む、聞く、話すこができたら良いの
ですが、正確さが枷になってしまって、機会やチャンスを逃してしまうのなら、
最初はきちんとすることを前提にしなくても良いと思います。
まず、英語を英語のまま楽しくたくさんのものを読んでみようというのも、そういう
目的がひとつとしてあると思います。山岡さんの街で遊んでいるうちに何とか話せるようになったというのもわかります。
では、どこからきちんとすれば良いのでしょう。
何とか話せるようになったら、次はどうすれば良いのでしょう。
そのような位置にいる人が増えているのではないでしょうか。
必ず、その位置にきます。私の言う「きちんと」はcorrectly Englishという意味ではありません。自分の言いたいことが相手に伝わるのかはcorrectly Englishだけでは無理だし、かといって勘に頼る文章も伝わるかは謎です。ですが、どんな言い方にしろいつか壁をどうよじ登ろうかと考えあぐねて足がこの位置で止まってしまう人はいるはずです。それを「多読の限界」と言われても仕方がないと思います。私はそうは思わずに、「自分はどうしたい?何がしたい?」を自分に問いかけて、ごく最近まで足が止まっていましたが。
あれ、私はもしかして「多読」から卒業したのでしょうか。
躓きながらも、おぼれながらも、凹みながらも先へ進もうとするのは学生を卒業して社会人になったようなもんでしょうか。
のわりには、English Vocabulary in Use Elementaryを始めましたが。はっはっは!
そうなのだと思います。
多読をはじめて「学習」から卒業した人たちはどうも自分勝手に次の一歩を踏み出す
ようなのです。そうやって、audible.comも発見されたし、Skypeでおしゃべりも、
翻訳も、海外で仕事も、mangaサイトで活躍も、始まったのです。
>「正しい、正しく」を追求する文科省とおなじ路線上であれば、トレーニング、ドリル、継続は力なり、コツコツ、不断の努力-- こういった美辞麗句(?)はお払い箱にした方がいいかもしれません。
正しくあることを追求することは必要ないと思うし、努力という言葉もいらないと思います。ライティングのサイトだって努力や根性で頑張れなんて言われません。そもそも人にあまり頑張れって言うことが英語ではないのかも。
keep goingは良くいわれるけど(笑)でも、これはどんどん間違っても書くぞ~!という私の姿勢を指しているのであって、限定されたことを継続せよと言っているわけではないととらえています。
英語はまだ恵まれてますね。ドリルやトレーニング本がたくさんあるだけ。
ない他の言語はどうなるのでしょう。それこそ、材料を探すところから個人の努力と財力になってしまいますね。だからフラ語なんて無理だったんだー(笑)
ということは、ドリルやトレーニングが悪いというわけでもない。
これもまたチャンスであり、機会であるのだから。
どう使っていけば良いのか、また自分の現状にどのようなものがあっているのかを見つける力が英語も他の言語も必要になってくるのでは…。私は人に押し付けられてEnglish Vocabulary in Use Elementaryをやっているわけではありませんが、今回、NEOさんに壁の前で足が止まっている自分の状況をを聞いて頂いて、このような方法を見つけました。
うむ。やっぱり私は「多読」という型(とは今まで思っていなかったけど)から卒業したのかな。
あ、先生から「正しい答え」をもらおうなんて思ってませんよー。
何が私にとって正しいのかは、私が決めることですもんね。
その通りですね。多読からFree Writingを経て、Grammar in Useへ発展して、
English Vocabulary in Use を足して、そこから仕事の文書や論文に伸びて
いってもいいし、小説を書きはじめてもいい・・・
すでにたくさんの人が自分の道を見つけて旅立っています。
その人たちに勇気づけられて、みんな自分の旅を見つけるのでしょう。
雫さんの旅立ち(多読からの卒業)を見て、わたしも! と思う人がきっといます。
追伸
雫さん、「多読的ライティング」の解説が遅れております。もうしわけないです。
「町の名前を一つ」の詩の翻訳があまりに衝撃的だったので、それをどう
解説に含めるかで四苦八苦しております。でも、第一回丸の内オフで
書くと約束したことは必要なかったね。だって、もう自分で書きはじめているのだから!
いいぞ! そうやって、みんな荷物をまとめて、どんどん自分の旅に出るのだ!