多読的ライティング
2009年11月 2日
カテゴリ : 多読的ライティング
タグ: 多読の先にあるもの, 蹴りたい背中
tadoku.org のトップページ左下にはわたしの研究室である716室の話題が
いくつか並んでいます。
多読的シャドーイングと多読的ライティングを書かなきゃいけない、書きたいのに、
次々と新しい事実が見つかって、ほとんど書いた原稿がそのまま何ヶ月も
眠っています。
で、そのまだ見ぬ(?)「多読ライティング」について、雫さんがメールをくださいました。
この記事もみなさんの背中を蹴飛ばす、いや、そっと押す一つの試みです・・・
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せんせい、こんばんは。せんせいの多読的ライティングが具体的にどうするのかがわかりません。なんかとってもハードルが高そう。英語オンリーじゃないといけないとか、
溢れないといけないような気がします。でもせんせいはご存じのはず。私は私の方法を突き通して回り道しながら進むことを。
これが雫@多読的ライティングです。もともとinterestingを10回見ないと書けない私が、どんだけ奮闘したか(笑)
多読の敷居がいかに低いか、はじめるときにいかに(!?)「英語のできない人、
英語の嫌いな人」が多いか--実はおどろくほどの数です。
グダグダ期間(約半年間)に試したことです。ICRの文章を書いてみた。→つまんないから、やめた。英英辞書の意味を書いてみた。→つまんないから、やめた。Twitterに書いてみた。→どうしてハマれるのか不思議。たまーにぼそっと書く。3行日記を試そうとした。→無理。3行にまとめる力がない。とうとう、しかしあまり予備知識がないままL8に書き始める。→今に至る。一瞬、迷いましたが書く時は和英・英和辞書を使っても良いことにしました。主にスペル確認で使っていましたが、今は殆ど使っていません。使わないようになってくると思います。
時々自分でも「どうして、こんな言葉を書けるんだ。」と不思議に思いますが多読効果のみです。もしもビビって何もかも辞書で調べながら書こうとしても大丈夫です。そんなことをしていたら「何が言いたいのかわからないつまんない正しい文章」になりそうな匂いが文章からプンプン漂ってきます。自分で自分の文章を見て「なんじゃ、これ。」とあきれますから。(経験談)
アウトプットに書くことを選択したけど、誰に向って何を書こうとしているのか漠然としていると、文章は書けないことも実感しました。私は自分の気持ちを吐露する日記タイプではありません。今まで日本語で続けてきた多読Blogのような私らしさが出る記事を書きたい
と思いました。ですから、私にとってL8は良かったと思います。
人によって、どういう分野(?)ことから書き始めるか、それは違ってもいいですね。
最近は自分の手帳に手書きで何だかんだと日記のようなものを書けるようになりました。読書の感想もその時の気持ちを書けるようになりました。そして書くことを始めて、PBを読むスピードがあがり、理解度が深まっているような気がしています。
どうもあるようですね。
「英語で書く手帳」についてです。最初は、良いアイデアだと思いました。何せ「英語を書く」ことに慣れるにはてっとり早いと思いました。仕事用の手帳も2010年度版に書きこむことが出てきて、全て英語で書くつもりだったので、実際にやっているのですが・・・あくまでも仕事用の手帳ですので、開いてさっと情報を目にして把握できることがポイントです。スペースの問題もあります。英語は文章が日本語に比べて長くなり、略語を使ったりしなければなりません。英語で書く文章と英語で書くメモは全く違うものですね。どれだけ英語を書いたとしても、略語や短縮形になっていると、単語の羅列のようで、英語で文章を書けるようにはならないと思います。使い分けることができたら良いのでしょうね!
他に書くことしている方がいらっしゃったら、どのようにされているのか
聞きたいですね。
みなさん、わたしはこう書いているという体験を知らせてください。
しれないとも思っています。