音から絵!?

きょう、掲示板で「じゅんじゅん」さんの投稿を見つけました!
日付を見ると、わたしのノートPCが壊れて焦りに焦っていた日だ・・・
で、よく見るとホログラフィック・アプローチ(仮称、まだ思いつきだけ)を
思わせる・・・
(音の人って、ほんとに不思議です。わたしはきっとずいぶん文字寄りの人?)

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日本の古典も多読?

とにかくみなさんにいただくメール、会ってうかがうお話し、ときどきのぞくブログ、
すべてヒントが山盛りで、なんとも言えません。
たとえばきのうの多読的おしゃべり会(南南南会)に参加して、
http://tadoku.org/kb/kb7.cgi?b=yayakoshiki&c=e&id=2417
こういう感想を掲示板に書いてくださった「紫」さんは、第1回のときに、英語は話せないといって、日本語で実にうらやましい体験談を話してくれました。
わたしの引退後の一つの夢です。

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加点方式 対 減点方式 (Fluency/Accuracy?)

ひさしぶりです。
怒濤の4月の後、書類書きの5月がまだ去っておりません。
(多読・多聴はお金がかかりますね。あらゆる機会を捉えて
 予算を確保しなければならない、そのためには書類を山ほど
 書かなければならない! いつか学校や図書館でいくらでも
 ただで借りられる日が来るように、お金をかけるだけのことは
 あるのだということを証明せなあかんのです・・・)
で、本題の「加点方式」と「減点方式」ですが、ここ数日「みんなの広場」では
「多読的英語とのつき合い方と学校英語との関係について」という話題が
盛り上がっています。
多読的英語と学校英語の関係はほぼ「加点方式と減点方式」の関係か?

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イチゴとシャドーイングの関係について

いま「みんなの広場」(このサイトの掲示板です)で、
シャドーイングの話が進行中です。
http://tadoku.org/kb/kb7.cgi?b=yayakoshiki&c=t&id=2300
そこで、「もごもごシャドーイングの威力」の話が出ています。
わたしはもっともっと威力の実例を見て(聞いて?)見たいと思っていますが、
「スリーパー」さんという人が、もごもごシャドーイングにとんでもないことを言い出しました。それをみなさんにお伝えするのを長いこと忘れていました。
いえ、実に簡単な、しかしあっとおどろく工夫です。
口にイチゴを含んでシャドーイングすると
もごもごシャドーイングになりやすい!


それだけです・・・ でも、これはいわゆるコペルニクス的転回ですね!
みなさん、やってみて、様子を知らせてくださいな。

ORTに触れたこどもたち

児童英語教室でORTに触れたこどもたちは「こども」なのか?
それとも「こども式」なのか?
カテゴリー分けで一瞬迷いましたが、カテゴリーとしては
「こども式」しかないので・・・
「NEO」さんからのメールを紹介します。

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多読的おしゃべり 対 Accuracy

もう取り下げてしまいましたが、Fluency Over Accuracyを考えはじめたのは、
最近何人かの人が英語のおしゃべりをはじめて、
それがまことに「多読的」だったからです。
そこで「多読的おしゃべり会=南南南会」がはじまって、
ますます意を強くして「よーし、accuracyを吹き飛ばしてやるぞ!」と
張り切りすぎたのでした・・・
そこへ「涼音」さんの多読的おしゃべり報告です。
前回涼音さんが参加してくださったときにお聞きした話ですが、
ぜひみなさんにも聞いてほしいと思って、メールで報告して
いただきました。
(これからはaccuracyを否定するのではなく、
 ??そうすると北風政策になってしまうから??
 fluencyを強調するようにしていこうかな?)

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fluencyをやめる理由です。

前便三つのどれかに書こうと思って、うまく入らなかった「やめる理由」です。
一般にはfluencyという言葉が「流暢さ」という意味で使われることです。
第二言語獲得の分野ではわたしのいいたい「途切れなく対話が流れること」
という意味で使われますが、一般的ではありません。
専門用語を持ちこもうとしたのは間違いでしたね。
(ただ、fluencyの専門的意味は実にわたしのいいたいことを
 ぴったり表しているのです・・・ おなじくらい、ぴったりの
 日本語はないものか・・・?)
なお、前便で「Chico」さんは soulfulness と書き、わたしは soulfullness と書きました。どうもChicoさんの書き方の方が普通のような気がしますが、話題が話題だけに、そのまま放っておきます・・・!

Fluencyはやめにしますが・・・ 3

fluencyでわたしが言いたかったことを一言でいえば、
「正しい」なんてことは最優先ではない! ということです。
まずはとにかく手を挙げて話を」切り出してみる。
相手の顔を見て、伝わっていないようだったら、何かほかの手を繰り出す・・・
こちらが「伝えよう」という気持ちを途切れさせないかぎり、
相手の人は耳を傾けてくれます。
「正しく言おう」なんて思って頭の中で文章を組み立てはじめると、
おそらくその途端にわたしたちは「内に籠もってしまう」でしょうね。
相手の顔さえ見なくなるかもしれない。
それは「伝えよう」とする気がないと見られるかもしれない。
さて、そこの「気持ち」をさらに押し進めた意見が「Chico」さんから来ました。

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