加点方式 対 減点方式 (Fluency/Accuracy?)

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ひさしぶりです。
怒濤の4月の後、書類書きの5月がまだ去っておりません。
(多読・多聴はお金がかかりますね。あらゆる機会を捉えて
 予算を確保しなければならない、そのためには書類を山ほど
 書かなければならない! いつか学校や図書館でいくらでも
 ただで借りられる日が来るように、お金をかけるだけのことは
 あるのだということを証明せなあかんのです・・・)
で、本題の「加点方式」と「減点方式」ですが、ここ数日「みんなの広場」では
「多読的英語とのつき合い方と学校英語との関係について」という話題が
盛り上がっています。
多読的英語と学校英語の関係はほぼ「加点方式と減点方式」の関係か?


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そのスレッドは
http://tadoku.org/kb/kb7.cgi?b=yayakoshiki&c=e&id=2364
です。
このスレッドの中でみなさんが言っていることで「はっ!」と気がついたのが、
先ほどの対応関係です。
学校英語は(そして日本社会は(?))減点方式を土台にしていて、
常に満点が想定されていて、生徒も先生も親も自分やこどもが満点からどれだけ
離れているかで、自分の出来、生徒の出来、こどもの出来を判断しているように見えます。
(満点を狙うというのはいわばaccuracyをめざすこと?)
そして多読は「正確さ、正しさ、満点」をめざしてわからないところに気持ちを集中するのではなく、わかるところをつなぎ合わせる。
話すとき、書くときも、「気持ちと言葉の間に間断ないことを大事にする」!?
(気持ちが相手に向かって流れていくことを大切にする?)
ああ、これは大きな話題で、きょうはもう書く時間がないかもしれませんが・・・
連休中に沖縄に行ってきました。そこですばらしい話を聞きました。
ある塾の数学の先生は、多読に惚れこんでいるのですが、惚れこむ前から、
とんでもない試験を生徒にやらせていたそうです。
それは普通に試験を出すけれども○しかつけない、×はつけずに、
得点も出さない、というものです。
それで「試験」と言えるのか! って怒る親御さんがいても
不思議ではありませんが、その先生は納得させてしまったようです。
見事な加点方式ですね。
もう一つ「やられた!」と思ったのは、その塾の英語の先生の言葉です。
この先生は多読クラスがはじまると教室のいちばん後ろで自分もペーパーバックを読んでいる。
(記録手帳はしっかり見ているそうですが。)
The Da Vinci Code も教室の後ろで読んだそうです。
わたしが「ぼくは授業では学生を前から引っ張り、後ろから押し、
横から励ましで、大変です」と言ったら、「先生が引っ張ったら、こどもはそこまでしか行けない。放っておけばどこまで行くかわからない」とのたもうた!
まったくその通りで、わたしは一言もありませんでした。
親身に助言しているつもりでも、わたしのやり方は「変形減点方式」
だったかもしれませんね。その塾では何年も楽しそうに読み続ける生徒がたくさんいるのに、わたしのクラスでは半分もいない・・・
ほかにも理由はあるでしょうが、結局わたしのクラスの学生は
「自分の楽しみのために読んでいない」のかもしれないと思いました。
痛い反省です。
反省はしたけれど、これからどうするか、まだ揺れています。
連休後の多読クラスのやり方を悩みました。いまのところ、
変えてはおりません・・・