多読的おしゃべり! Mさんの場合

2010年9月10日
カテゴリ : 多読的おしゃべり, みんなの集まり
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8月8日は日本語多読研究会の勉強会がありました。

そ研究会のあるメンバーから聞いた話があまりに多読的(?)だったので、
メールで同じ話を送ってもらいました。

時あたかもSkypeおしゃべり会があと30分ではじまろうとしています・・・

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英語の落ちこぼれ。多読の落ちこぼれ?   YYY YYY(62歳)

中学校の英語は、前置詞だの、現在進行形だのが出てきて、わけがわからなかった。
高校では、英語の授業から逃れたい一心で、英語の授業が少なくなるドイツ語のクラスを選んだ。
ドイツ語には、性による語の変化や、habenというのが、文末に来る係り結びみたいなものもあって、英語の活用までわからなくなった。
大学では、第1外国語をドイツ語にしたので、英語の時間は週1時間ほど。友人のノートを借りてやりすごした。

覚えのある人は多いでしょう。
「英語のない国から来た」人たちはみなさんそうやって試験をやりすごした・・・

たまに海外へ行ったときは、英語の名詞と動詞を、並べて叫ぶと通じるので、「ま、いいか」と、思っていた。
が、息子がフランス人と結婚したこともあって、フランス人を通じて、外国人と会話するチャンスが増えた。「おしゃべり」という場では相手はあまり加減してくれない。こちらも、名詞と動詞を並べるだけでは、場が保たない。聞けない。話せない。つまんない。
それに、私の大好きなアガサクリスティ。中でも、ポアロが出てくるシリーズ。ポアロが、英語を少しまちがえて使ったりしているらしいのだが、日本語に翻訳してあると、そのおもしろさが、ぴんと来ない。
”pail of carp”と、死の間際に男が言った、と召使い達の証言。実はこれは、アトロピン中毒の解毒剤パイロカルピンの、ことだった。などというのも、日本語になっていると、ちっともおもしろくない。

アガサ・クリスティーの作品にはほかにも聞き違いが鍵になっている作品が
ありましたねえ。なんだったかな? 

ケーキに振りかける砂糖の名前が関係しているのではなかったか?

失礼、本題はそういう ひねり のおもしろさが翻訳だと伝わりにくいということでした。

中学英語のテキストを買って、復習してみた。書いてあることはわかったが、会話や読書の役には立たなかった。
大手の英会話スクールへ行ってみた。高い月謝を払って、4-5人のクラス。ネイティブの先生が、順番に当てて、5-6行の会話のやりとりをさせる。あとは、一人ずつ、テキストのとおりの文を質問して、答えさせる。”Yes I am.”とか“Yes I do.”とか、答える。これで、だいたい50分のクラスが終わる。
週1回1年通ったが、授業料を捨てただけだった。

うーん、いまもそうなんでしょうか、英会話学校って・・・

昔はたしかにそうだった。昔といっても10年くらい前。

無理矢理その学校だけの英会話教材を買わせるんですが、
これが検定教科書の焼き直しだった・・・

そのころ、YYさんから、「英語多読」の話を聞いた。辞書を引かずに読んでいい。嫌になったらやめていい。好きなものだけ読んでいい。
びっくりした。これならできる。と思った。YYさんに本を借りたり、Graded Readersの一種ラダー文庫を数冊買って読んでいる。「多」読にはほど遠いが、人生で初めて、ことばである英語に接触できた。

↑ これが6年くらい前のYYYさんと多読との出会い。

↓ これがつい最近のこと・・・

家の近くに小さな「英語教室」がある。トライアル60分1000円!!行ってみたら、私と同じような年頃のおじさんが、ぺらぺらとしゃべり続けている。やっと、授業が終わったので、トライアルを受ける。
オーストラリア人の男性教師。ちっちゃいし、何だかたくさんの人種が混じったような顔立ちだし、ぜんぜん緊張しないで「ほんとに今まで、役に立った英語の授業なんてなかった!私のこのひどい英語で、どれほど困ったか・・・。」などと、勝手にしゃべっていたら、1時間がたってしまった。
「土曜日の、この時間でよければ、さっきのおじさんとのクラスはどうか?ちょうど、同じくらいのレベルだと思う」と言う。
翌月から、行くようになった。
おじさんは、私の1歳下の61歳。大学は出ているが、現在、フィリピンから、何かを輸入していて、でたらめ英語で、商談をしている人だった。
授業時間に2人の生徒が揃うと、たちまち、暑いの寒いの、円が上がったの下がったの、民主党が勝ったの負けたのの、話から始まり、途切れることなく60分、ほとんどは、時間を超過して70分が終わってしまう。その間先生は、口を挟む能力がないので黙っている。
時々、「ああ、それは知らなかった。だって、僕ってイノセントなんだもの。」などとつぶやいたりしている。

↑ このあたり、YYYさんの面目躍如!

ネイティブの先生に口を挟ませないというところが強烈でしょ?
しかもそれを 「口を挟む能力がないので」と表現するところに、
YYYさんの人間の大きさというか、度胸の据わり具合というか、
言葉を使うって言うことはどういうことなのか、お見通しというか・・・

いや、実に見上げたものであります。

さすがに”I have fifty shoulder”と、おじさんが言ったときには「どういう意味?」
と、聞いたが・・・
はじめのうちは、これでいいのだろうか?(私たちは、これでいいと思っているのだが)先生はどう思っているのだろう?と、気になったが、すでに9ヶ月たち、先々月、帰り支度をしていると、先生が、「この土曜日の授業を、僕、とっても楽しみにしているんだ。とても面白くて・・・」と感想を述べたので、いいんだと思うことにした。

いいんだと思うことにした・・・

宿題も、勝手に決めていいというので、めちゃくちゃな英語で書いた「日記」を、見てもらうことにした。私のひどい英語を直す能力がないので、先生は直さない。内容を楽しんで読んで、時々、内容について聞くので、教えてあげる。
おじさんは、4つくらいの文があるテキストの1ページを暗記してきたいと言って、暗記して披露する。私がチェックして褒めてあげる。

またしても! 「私のひどい英語を直す能力がないので」!!

YYYさんはまったく傷つかない!!! お見事!!!!

体のどこかにあった語彙。どこかで見たり聞いたりしていたらしい文型が、どうしても言いたいことがあると、出てくる。
最近、驚いたことがある。テレビから聞こえてきた英語の短い文が「英語」としてでなく「ことば」として聞こえてきたのだ。あとから、「あ、今の英語だったんだ」という、とっても変な感覚だった。

・・・と、

最後の最後に意味深な一言を残して、
突然ここで終わっているんですけどね、このメール。

Skypeおしゃべり会もこんな風に、堂々と、

間違いなんか気にせずに、

わかってもらえなかったら、相手にわかる能力がなかったことにして、

日本語でも手振りでも身振りでも (あ、会議形式ではビデオが使えない!)

なんでも動員して 「気がついたら70分」という風にしゃべりましょう!