痛快! 「英語の落ちこぼれから」多読的おしゃべりへ
2010年8月14日
カテゴリ : 多読, 多読的おしゃべり
タグ: 多読的おしゃべり, 流れる
「だれでも多読サークル」には実にさまざまな人がやってきて、
それぞれに絵本やmangaやCDやDVDを楽しみます。
その中のNさん、Aさん、Mさん、「まいまい」さんについては
多読は若い人だけのものではない、いくつになっても始められるという意味から、
一つ前の記事で紹介しました。
多読サークルにいらっしゃる人ではありませんが、
今回紹介する方もわたしより少し若いというお歳。
けれども、その豪快なこと!
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この人が多読を楽しんでいることは前から知っていました。
それが、8月のはじめにお会いした時に、
「多読的おしゃべり」です、と言って、最近溢れるように英語を話していると、
うれしそうに語ってくれました。そこで報告をお願いしたところかなりくわしい
報告が届いたわけです。
英語の落ちこぼれ。多読の落ちこぼれ? YYY (62歳)
中学校の英語は、前置詞だの、現在進行形だのが出てきて、わけがわからなかった。
高校では、英語の授業から逃れたい一心で、英語の授業が少なくなるドイツ語のクラスを選んだ。
ドイツ語には、性による語の変化や、habenというのが、文末に来る係り結びみたいなものもあって、英語の活用までわからなくなった。
大学では、第1外国語をドイツ語にしたので、英語の時間は週1時間ほど。友人のノートを借りてやりすごした。
ご本人はこれですっかり英語の落ちこぼれを自認するようになった・・・
たまに海外へ行ったときは、英語の名詞と動詞を、並べて叫ぶと通じるので、「ま、いいか」と、思っていた。
が、息子がフランス人と結婚したこともあって、フランス人を通じて、外国人と会話するチャンスが増えた。「おしゃべり」という場では相手はあまり加減してくれない。こちらも、名詞と動詞を並べるだけでは、場が保たない。聞けない。話せない。つまんない。
最後の「つまんない」というところがこの人の豪快さの表れですね。
「落ちこぼれ」を自認していたのに(いや、ほんとに落ちこぼれだったんでしょうが)
徐々に、生来の強気、元気、やる気が芽生えてきたわけですね。
それに、私の大好きなアガサクリスティ。中でも、ポアロが出てくるシリーズ。ポアロが、英語を少しまちがえて使ったりしているらしいのだが、日本語に翻訳してあると、そのおもしろさが、ぴんと来ない。
”pail of carp”と、死の間際に男が言った、と召使い達の証言。実はこれは、アトロピン中毒の解毒剤パイロカルピンの、ことだった。などというのも、日本語になっていると、ちっともおもしろくない。
もう一つありましたね、クリスティには、そういうのが。
聞き間違いまたは意味の取り違いをトリック(?)にしたものが、
いま探しましたが、見つからなかった・・・
中学英語のテキストを買って、復習してみた。書いてあることはわかったが、会話や読書の役には立たなかった。
大手の英会話スクールへ行ってみた。高い月謝を払って、4-5人のクラス。ネイティブの先生が、順番に当てて、5-6行の会話のやりとりをさせる。あとは、一人ずつ、テキストのとおりの文を質問して、答えさせる。”Yes I am.”とか“Yes I do.”とか、答える。これで、だいたい50分のクラスが終わる。
週1回1年通ったが、授業料を捨てただけだった。
英会話学校に通うとそういう場合が少なくないと思われます。
どうぞ、自分が何を課題としているのかしっかり意識して、
英会話学校によくあると思われる「金儲け主義」に引っかかりませんように・・・!
そのころ、YYさんから、「英語多読」の話を聞いた。辞書を引かずに読んでいい。嫌になったらやめていい。好きなものだけ読んでいい。
びっくりした。これならできる。と思った。粟野さんに本を借りたり、Graded Readersの一種ラダー文庫を数冊買って読んでいる。「多」読にはほど遠いが、人生で初めて、ことばである英語に接触できた。
多読三原則を聞いていきなり踏み切ったというよい例ですね。
その度胸がそのまま 多読的おしゃべりにも!
そして、強気とやる気が大爆発!
家の近くに小さな「英語教室」がある。トライアル60分1000円!!
行ってみたら、私と同じような年頃のおじさんが、ぺらぺらとしゃべり続けている。やっと、授業が終わったので、トライアルを受ける。
オーストラリア人の男性教師。ちっちゃいし、何だかたくさんの人種が混じったような顔立ちだし、ぜんぜん緊張しないで「ほんとに今まで、役に立った英語の授業なんてなかった!私のこのひどい英語で、どれほど困ったか・・・。」などと、勝手にしゃべっていたら、1時間がたってしまった。
「土曜日の、この時間でよければ、さっきのおじさんとのクラスはどうか?ちょうど、同じくらいのレベルだと思う」と言う。
翌月から、行くようになった。
おじさんは、私の1歳下の61歳。大学は出ているが、現在、フィリピンから、何かを輸入していて、でたらめ英語で、商談をしている人だった。
どうもちょうどよく豪快なお相手が見つかったようで・・・
授業時間に2人の生徒が揃うと、たちまち、暑いの寒いの、円が上がったの下がったの、民主党が勝ったの負けたのの、話から始まり、途切れることなく60分、ほとんどは、時間を超過して70分が終わってしまう。その間先生は、口を挟む能力がないので黙っている。
時々、「ああ、それは知らなかった。だって、僕ってイノセントなんだもの。」などとつぶやいたりしている。
さすがに”I have fifty shoulder”と、おじさんが言ったときには「どういう意味?」と、聞いたが・・・
はじめのうちは、これでいいのだろうか?(私たちは、これでいいと思っているのだが)先生はどう思っているのだろう?と、気になったが、すでに9ヶ月たち、先々月、帰り支度をしていると、先生が、「この土曜日の授業を、僕、とっても楽しみにしているんだ。とても面白くて・・・」と感想を述べたので、いいんだと思うことにした。
先生のことを「口をはさむ能力がない」と斬って捨てる・・・
宿題も、勝手に決めていいというので、めちゃくちゃな英語で書いた「日記」を、見てもらうことにした。私のひどい英語を直す能力がないので、先生は直さない。内容を楽しんで読んで、時々、内容について聞くので、教えてあげる。
おじさんは、4つくらいの文があるテキストの1ページを暗記してきたいと言って、暗記して披露する。私がチェックして褒めてあげる。
↑ ここもすごいです!
こういうのをポジティブ・シンキングというのですか?
先生には「わたしのひどい英語を直す能力がない」と、またもばっさり!
時々先生が内容について聞くのは、英語がわからなかった時ではないのか?
そんなこと意にも介さず、先生に 教えてあげる・・・
わたしの娘がはじめてオックスフォードの公立小学校に行った日、
帰ってきて、「どうだった?」とたずねたら、
「先生がわけのわかんないこと聞いたから、無視してやった」と
のたもうたのですが、この人は10歳のこども以上にストレート!
体のどこかにあった語彙。どこかで見たり聞いたりしていたらしい文型が、
どうしても言いたいことがあると、出てくる。
最近、驚いたことがある。テレビから聞こえてきた英語の短い文が「英語」としてでなく「ことば」として聞こえてきたのだ。あとから、「あ、今の英語だったんだ」という、とっても変な感覚だった。
この人は多読の落ちこぼれなどと言っていますが、
(そしてたしかに時間の割にレベルは上がっていませんが)
そんなことはない! しっかり英語が染みついているとわたしは思いました。
さもなければ30分以上も話し続けるなんて、できないでしょう。
もちろん、多読で身についたのは、少ない言葉でしゃべる続ける度胸・・・
かもしれませんが、それはそれでたいしたもの。
なかなか言葉が口からでない控えめな人たちや慎重な人たちは、
まちがいなくその剛胆さをうらやましく思うことでしょう。
いいぞ、そのまま行くんだ、YYYさん!