音は落ちるってわからないんですけどー!

2010年7月 5日
カテゴリ : 多読的リスニング(多聴), 聞き読み, 多読的シャドーイング, をさなごのやうに
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「ひまぞ」さんからメールが来ました。既報の通り2週間以上前?

で、やっとお返事をかねて、「音は落ちる」の正体に少しずつ迫ります・・・

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さかいせんせー、こんにちはー。ひまぞです。

先生のブログでよくテーマになっている「音が落ちる」ですが
私にはよくわからないのです…。

こうして疑問を投げてくださると、話が深まります。
それに、わたしの話のどこに穴があったかも、わかります。

かすかな音または音として発音しているようには聞こえない
という意味でならば、理解できるのですが
音が存在しなくなる…という意味だとしたら、NOです。

すでにひまぞさんには一部メールでお返事していて、
その中で書いたのですが、わたしたちの頭は聞こえていない音を
補って聞くようにできているようですね。

そのために、かなり英語の音に慣れていると思われるひまぞさんには、
「音が存在する」ように思えるのだと、わたしは考えます。

先生の音は落ちるという記事の前半と
じゅんじゅんさんのブログの上の部分を読んでから見たのですが
gleekとgeekと混在していて、ファンはgleekと言っていて
それを揶揄する人がgeekと言っていると思いました。
(最後の方はgleekがいくつか続きますよね?)

口の動きも違うし、なにより間が違いません…?
(私には子音に引きずられてか母音の最初も違う音に聞こえますが…。)

たしかに geek と gleek では ee の音も違いますね。言われてみれば・・・

これはわたしが L の音を例に出して言っていることの母音版ですね。
それはまたいつか書きましょう。

  (一言でいえば、一つ一つの音を「発音練習」することにはあまり意味がない
   という実例だと思われます。)

速く話す時は、弱い音はさらに弱くはなりますし
舌や唇の動きが最短・最小距離で動いていくのですが
基本、やっぱり動いてはいるんです。
自分で発音している時も動いているんです。
だから、どんなに速くなっても、その音が聞こえなくなっても
そこには絶対的な間があって、相対的なリズムは保たれています。

間があるように聞こえるのはひまぞさんが英語と英語の音に慣れているからだと
わたしには思えます。

そのリズムがあるから
耳に聞こえても聞こえなくても適当に脳がおぎなって
全部聞こえているように聞き取れているんじゃないのかなと
思っているのですが…。

そこなのです!

おそらくリズムさえないに等しいとわたしには聞こえます。

わたしたちは 聞こえていない音やリズムを補ってしまうのだと思います。

よく使う例ですが  ありゃっした! が ちゃんと「ありがとうございました」に
聞こえることがあります。この場合は明らかに発声時間の長さはちがいますよね。
けれどもわたしたちには「ありがとうございました」と聞こえたように思ってしまう。

チアリーダーの女の子は、最初の部分何といってるのか
音は聞こえるけど意味をなしてきません。
聞き取れないものって、日本語でもなんかそんな感じです。
純粋に1音ずつ分けて拾いきれるだけ、耳も頭もいい人って
あんまり存在しないと思うんです…。

今韓国語をならっているのですが、人によって
速く話す時に前のパッチム(子音)が後ろの母音と合成して
1音に聞こえてくることが多々あるのです。
舌の位置でたまたまそういう発音になっているようで
本人はまったく意識はしていないのですが
ためしにこちらはあえて合成1音で発音しても
まったく不自然には思わないそうです。

ハングルがわからないと意味不明になっちゃうかもですが
(ハングルのローマ字表記はわかりませんが、日本風に)
가방이 (かばんが ka bang i)というように発音するのですが
この鼻にかけた「ん」という音の鼻にかかっている時の舌の位置で
次の「い」を発音すると「ぎ」に近い音になります。

안녕하세요. (あんにょんはせよ)も
an nyong ha se yo という感じなので
あんにょがせよ と聞こえる時もあります。
で、私はいまだに은 unと응 ungの音の区別ができないのですが
後ろに母音がきた時の変化と、間の違いで区別をしています。
ng の方が微妙にひきずる間がある気がします。

英語を知らない韓国人と話す時に
文中のrをlで発音してしまうと
前の文字の下にrの音のパッチムがついているように
聴き間違えされてしまいます。
英語を知っている韓国人だと、lを子音と聞きとれるのですが
そうでないとrrという音に置き換えてしまうようです。

申し訳ないです。文字化けしております。
これは直せるようなら直してもらいます。
管理人さんはいまはいそがしいのですが、いつかお願いします。

先日、発音レッスントライアルをしてきました。
ある文章を朗読するのですが、単語ごとと文章で
アクセント、抑揚、強弱、長短を意味を把握しながらつけていくのですが
言葉は音楽だと、私がいつも思っていることを言っていました。

指揮をしてもらいながら朗読するととっても楽ちん。
ひとりだと引っかかってしまう部分も、すらっと言えちゃいました。
それを朗読テープで自然にできる人は、シャドーイングも
うまくできるんだろうな~とか思います。

いまだかつてこんなに発音がダメな人は知らないと
カナダの先生に言われたとおり、さっぱりダメダメな私は
もう徹底的に自分が知っている音で置き換えて
リズムだけ押さえて話すようにしています。
1音ずつの発音はなんかダメみたいだけれど
文章になるとなかなかいいねと褒めてもらいました。

上にちらっと書きましたが、一つ一つの音よりも、文としてのメロディーとか
リズムの方が大事な気がします。

もちろん強い音はそれなりの音になっていないと、
同じリズムで同じメロディーのほかの文と間違えられる可能性がありますが、
まずはメロディーとリズムを大事にします。それがもごもごシャドーイングでも
あります。

ここは「Julie」さんのブログにおもしろい意見があって、
それもおいおいご紹介します。(自分に言い聞かせている・・・)

実際、私のリスニングって、一文字とか一語とかでは
全く聞きとれていなくって、するっとまるごと意味がわかるか
まったくわからないかのどちらかです。
音楽を聞いて、タイトルや主旋律が浮かぶ感じに近いかな。
最初は耳慣れたフレーズ以外は全くわからなかったのに
いろいろ聞いていたら、いつのまにかずいぶんと増えていました。

それでいいのだと思います。

つまり、一文字、一語は場合によってはわからなくてもいい!

楽譜の読み方、解釈の仕方のような音の話よりも
リスニングもまずは多読の最初のように
大きな方向からみつめるアプローチをしてくれると
もっと多くの人たちが文字から音への敷居を超えれそうな気がします。

ではでは~~。

その通りです。それをわたしは 多読的リスニング とか、多読的シャドーイング と
呼んでいるわけです。

さてさて、この記事でもずいぶんたくさんの話題が出てきました。
いずれ、どの話題も記事にして、 多読的リスニング、 多読的シャドーイングの
いいたいところを明らかにしていきます。

きっとみなさん肩の力が抜けて、聞くのも、話すのも、楽になるはず・・・!

それはともかく、ひまぞさん、ありがとー!!!

次回はいよいよ 「チャーチル・マティーニの法則」 を詳述! 乞うご期待!!