ぼやっと聞く!
2010年12月31日
カテゴリ : 多読的リスニング(多聴), 多読のパラドックス
タグ: ながら研究, 聞くのが苦手・・・
「ながら研究」のことは何度もちらっと書いてきました。
なかなか記事にするほどの確信が持てないからなのですが、
たとえば「ぴ~ママ」さんの最近のメールのように、
多読外からの例証もあるかに見えます。
つまり古武術でいうと、「意識を別のところに持っていくことで大きな力が出せる」
というのと、ひょっとして似ているかもしれないと思います。
それを「間者猫」さんが実感なさったようなのです・・・
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(「せにょ」さんはよく「多読は体育会系だ」と言いますが、
頭ではなく体を使う必要があるところはまさに体育会系かもしれません。
ほかにもそうした見解はいくつかあるので、またいつか・・・)
で、今回は
間者猫さんのブログを見ていると、間者猫さんもたくさん読んだ上での
「壁」にぶつかっているように思われます。たとえばこれ。
そのほかにもつい先日も次のような記事が・・・
リスニングでへこんでいたので
図書館で借りてきて、やってみました。
一度では聞き取れない部分もありますが、
それなりに聞き取れました。
通してやってみて、時間や数字の聞き取りが苦手だということが分かりました。
全部聞き取ろうとしないで、ぼやっと聴いておく方がいいんだなあというのは実感しました。
時間や数字はわたしもまだ不得意です。
でも、最近すこーしだけ、数字が頭に残るようになってきました。
あと20年くらいしたら、電話番号をさっと言われても全部頭に残りそうな予感!
数字関係はそのくらいむずかしいもののようなので、「聞き取れ」なくても
ほっておくとして・・・
ぼやっと聞いておく方がいい、というのは、真実本当です!
ぼくはかなり聞いてわかるようになっていますが、
(まだ隅から隅まで「聞き取れる」じゃありませんが、映画を1本見て、
ぜーんぶ聞き取れた「気になる」ことはあります。)
それでもあらためて隅から隅まで「聞き取ろう」と一音一音、一語一語に集中すると
たちまち全体はわからなくなります。
そのうち「新しい旅立ち」のメモで「みちる」さんのメールを紹介しながら
もっとくわしく書きますが、一本一本の木を見ていたら、絶対に森は見えてきません。
まるでその二つは二律背反(?)のように両立を拒むのです。
(と、わたしには思える・・・)
一音ずつ、一語ずつに注意を向けずに、ぼやっと聞いておく これは実に大切な
ことのように思われます。
ぼやっと聞いていると、細部までくっきり聞こえてくる
これもtadokuのパラドックスですね。
酒井先生が、”問題はカンで解くんだぞ!”というのは分かったような気がします。
”さらっと聞いて深~く分かる”ようになりたいですね。
これも、「ながら、古武術」に通じるのかもしれません。
こういっては申し訳ないけれど、みなさんの「語や文法に関する知識」などは
生きたことばの全体からするとまことに取るに足りない、はかなくも哀れなものです。
試験のときにはそんなものに囚われることなく、tadokuで培った勘を頼ったほうが
はるかに期待が持てます。
大学入試や高校入試も近い折、ぜひ覚えておいてください!
(「考えるより勘」というのも tadokuのパラドックス!
というのはさきほどの「せにょ」さんは多読以前には生徒に向かって
「だいたいこんな感じ--じゃだめだぞ。細部まできちんと理解しなきゃ」
と言っていたそうです。)