3月26日にわたしの最終講義「最後の授業」がありました。
題名はありませんでしたが、
「さかいの常識・世間の非常識」だったか、
「さかいの非常識・世間の常識」だったか、
とにかく多読がどれほど「非常識」な方法か、
それを考えついたさかいがどれほど非常識な人間か、
を、お話ししたのでした。その様子を絵と写真で、ごく一部ですが、ご報告・・・
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3月26日にわたしの最終講義「最後の授業」がありました。
題名はありませんでしたが、
「さかいの常識・世間の非常識」だったか、
「さかいの非常識・世間の常識」だったか、
とにかく多読がどれほど「非常識」な方法か、
それを考えついたさかいがどれほど非常識な人間か、
を、お話ししたのでした。その様子を絵と写真で、ごく一部ですが、ご報告・・・
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拙速の方が、じっくり精読より 「深く」読める という話の続きです。
* リズムに乗れない本は読めない。日本語の本でも。
* リズムは 意味の区切りではなく、「目の区切り」という意見がある。
* 目の区切りが すとんすとん と行かないと、乗れない。
いずれも、リズムなしに、じっくり読むことが必ずしも「深い」読み方に
つながらない可能性を暗示している?
だから、リズムを体で感じるために、劇薬シャドーイング?
多読をインターネットと出版で広めはじめてちょうど10年ほど。
その間に外国語学習の「常識」を覆すような報告が相次いで届いています。
かなり衝撃的だった一例に、
「読んでわかる速さより速い音声を聞いてわかるはずがない」
というものがありました。これは
Hさんとの会話から思い出したのですが、これは読む場合も同じだと予想しています。
つまり、ゆっくり読むよりも速く読んだ方が楽しめる!
(「常識」との比較では、
「ゆっくり読むよりも、速く読む方がわかる」
と言った方が「常識派」には通じやすいのでしょうが、
「わかる ←→ わからない」
という基準の害は非常に大きいようなので、
わたしがそうした基準で話していると思われることを避けるために、
上のように表現しておきます。)
前の記事「多読三原則再訪」では、わたしとしては当然だと思い込んでいて、
そのためにいままではっきり書いてこなかったのかもしれないことを書きました。
みちるさんには当然だったようで、次のようなメールが来ました。
そのまま引用していいということなので・・・
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*文法について、語について、蘊蓄オフでは微に入り細をうがって発見を
語り合うが、たいていの場合 学校英語祓い の役割を果たしている?
*つまりまずは学校英語を越えることができる。
次に、蘊蓄の材料には際限がないことを知り、
文法でことばを理解することの不毛さを知る?
*言うなれば、理屈で理屈を洗い流す--これも劇薬か? 劇薬蘊蓄・・・
「ペンちゃん」からさっそくメールをいただきました!
この話題は多読を支援する人たちのメーリング・リストで盛り上がっておりまして、
いろいろこの話題つきないと思いますが、学校に多読を定着させるには避けて通れない話題でしょう。
という意見が出ています。
さて、社会人多読仲間からはまだペンちゃんさんしかメールをくださっていませんが、
これは多読が新しい段階(新しい挑戦?)に入ったことを示す大事な話題だと
考えています。
ぜひ、どんどんメールをください!
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あるお母さんから、とっても興味あるメールをいただきました。
「ORTでセンター試験は大丈夫」とは言えませんが
(いろいろな人といろいろな場合があるので)
大丈夫な場合があるだろうと思います。
どういう人にとって大丈夫なのか、続きの最後に今の予想を書きます。
(一部は「新しい旅立ち・・・ メモ#8に関連しています。)
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きのうのきょうだというのに話題を変更!
きょうは劇薬シャドーイングにはどんなよいところがありそうか?
(これも「なぜまた劇薬を?」という疑問の一つの答えだと思います。)
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#6の予告では「なんで劇薬シャドーイングなんぞをやらなきゃいかんのか?」という
疑問にお答えするつもりでしたが、もたもたしているうちに少し答えの内容が
変わってしまいました。 「なぜ劇薬?」という話はあとに回すことにします。
今回の話題はこれまでの経過ですが、そのテーマである、
「わたしはいかにして心配することをやめ、
劇薬シャドーイングを言い出すに至ったか?」
も、実は「なぜ劇薬?」という疑問の答の一部だと考えております。
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「ながら研究」のことは何度もちらっと書いてきました。
なかなか記事にするほどの確信が持てないからなのですが、
たとえば「ぴ~ママ」さんの最近のメールのように、
多読外からの例証もあるかに見えます。
つまり古武術でいうと、「意識を別のところに持っていくことで大きな力が出せる」
というのと、ひょっとして似ているかもしれないと思います。
それを「間者猫」さんが実感なさったようなのです・・・
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(「せにょ」さんはよく「多読は体育会系だ」と言いますが、
頭ではなく体を使う必要があるところはまさに体育会系かもしれません。
ほかにもそうした見解はいくつかあるので、またいつか・・・)
で、今回は
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