多読と受験 多読で受験 学校英語の実態!?

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多読で受験の道筋はほぼ見えてきたと考えています。
けれどもその路上に道を阻むものがいくつも・・・!

そのうちの一つは試験や資格です。
試験や資格は結果明確なだけに、わたしたちの視界をひどく狭くしてしまい、
あらゆる楽しみを奪ってしまいます。

   (中にはとにかく点数を取るのが好きで、点数を上げるための努力がこの上ない
    楽しみという人もいますが、そういう人はほっときましょう。)

杏樹さんがお友だちから届いた学校英語の様子をお友だちの許しを得て転送して
くださいました。

お友だちは多読はしていないとのこと。
学校英語がどういうものか、実に鋭い観察をなさっています。
そこから、普通に学校英語を通過して、英語は不得意と思っている人が
学校英語をどう見ているかという貴重な例です。

かなりの長さがありますが、学校英語の不合理をこんなにつぶさに分析した例は
なかなかないと思われます・・・

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わたしの意見や感想を入れると読みにくくなると思うので、入れません。
けれども、この方の学校英語への「突っ込み」はすべて見事に急所を衝いていると
わたしは思います。

(1)
この数日だけ上の姪が泊に来ていました。
クラブ活動もあったりしてお正月にはまたお友達やクラブなどもあり来れないというので一人、泊まりがけにやってきました。
忙しくスケジュールがある子なので我が家に来ている間に冬休みの宿題をすませようとしたいのです。
必死でやる気があるのかないのか危機感がないので、さぁやれとばかりに部屋を用意して座らせました。
まずは英語の宿題をするというので横で見ていたら、プリントの内容はほとんど教科書に沿った物で考えなければならないものではないです。そのままの文章が書いてあり、虫食いになってるのを埋めるだけ。
宿題としては簡単ですがこれで英語が出来たと思っていいのでしょうか?
教科書を見ないで書くようにと言っても「?」ばかりだから結局、教科書を見るのです。プリントには英文の下に日本語訳まで書いてくれてるから訳から何の単語が入るか考えるべきなんでしょうが分からないんですー(/_;)
教えてあげれない私もなんなのですが、ついこの数ヶ月間に勉強したばかりの本人が分からないのは何なんでしょうー?
しかしこうして私は英語が苦手だから横から見ていて教科書を一からめくって見せてもらいましたが、日本語の英語の教科書って面白くないですね(´・ω・`)
興味をそそらない。
知る、学ぶ喜びがない内容がツラツラと書かれていて、「ここはもう読んだから終わりで次に行こうー」みたいな、訳したから次の項目に進むみたいな感じです。各項目や例題や会話文に何を学んで欲しいかがわからないし、普段には使わないだろうなぁといいような単語や例文や会話文もあったりして親しめないので頭に入らない。暗記するんじゃなく楽しく訳して身近に感じて吸収していかなくてはせっかくの例文や会話文も訳した所で退屈でつまらないし何だかわからないなりに勉強したような気分だけで教科書のページが進んでいってしまい、まるで文法や単語暗記の虫になっただけで英語を勉強してるようには思えません。
これでは教科書に沿って文部省が推奨してる内容を指導し「こなしてる」だけの英語になってないかしらと不安になります。日本語でいう所の[あいうえお]や[いろはにほへと]を身につけていく事になってないように思います。
[ABCDE]とアルファベットが覚えれども、日常的に使うような会話文ややりとり、単語などを身近に教科書を通じて慣れ親しんでいくというようにはならないです。なれていく事でステップアップさせ、文法も平行的に勉強させたり長文や作文などにも発展させていかねば語学力としての勉強になってない気がします。日本語を国語としてⅠから勉強するのと同じように英語も語学としての身近であって読み書きが出来るようにするのが本来学力として勉強する意味があるんじゃないのかと、この無意味な英語の教科書や授業や宿題に虚しく感じます。
しかしこの英語の教科書をこなしてプリントにある虫食いを埋めて解答する事がテストで点数になり、しいては受験にもなり、入試問題にもなるのかと思うと避けて通れないつまらない英語の勉強でもしなくちゃならない子どもたちがとても気の毒になります。
私は英語が大嫌いだしわかりません。
しかしこの教科書にある例文…学食でランチを食べます。とあるのでついついつっこみ(‘◇’)ゞ
「この彼は何ランチを食べるのかな?」「Aランチかな?Bランチかな?それともラーメン定食かなぁー?」と姪に聞く(笑)
しかし教科書には彼はカフェテラスで何をしてますか?ランチを食べています。という文だけで終わっていて次の項目は全く違う文章が書いてます。なんと中途半端ー彼はカフェテラスでランチを誰として何を食べてたか?美味しかったか?私は聞きたいなぁです(笑)
そして、ちょっと待って下さいとか、私は何が欲しいですとか、私はカフェテラスで何を食べますとかの会話はどうしたら良いの?支払いはいくらか聞きだい時には何て言ったら良いのかな?この席は空いていますか?とかはこの場合、使えるように例文を載せてくれないのかな。とか教科書の内容に疑問を持ってしまいました。
そんな日常会話が知りたければ自分で調べて勉強しろって事なのかな?
日本の英語の指導内容は昔から疑問でしたが今もさらに疑問が深まる教科書で指導してるのを目の当たりにして驚きました。国際社会になり英会話や英語力を求めるわりになぜこんな事なのか?
誰か教えてーです°・(ノД`)・°・

つい、感想を入れてしまいます。

まったくおなじことをわたしは「さよなら英文法! 多読が育てる英語力」で
一生懸命書きました。それとおなじことを英語が不得意で、まして専門家ではない
人が感じている!

(2)
現在の中学一年生の教科書を実際に見た驚愕ー( ̄□ ̄;)!!
辞書なんて使いません。なぜなら教科書の後ろには教科書に出てくる単語の辞書と同様に訳がちゃんと載せられていて辞書を使って訳す事すらしなくて良い教科書になってます。そして教科書の例文で使われている訳が一番なのか他にも意味や言い回しの違いが同じ単語にはあるにもかかわらず必要なければ紹介もされてない。ちがう使い方があった場合これはどうなるのか疑問にすら持たずに終わってしまう可能性あります。
辞書で訳すのが良いわけではありませんが訳す努力や文章に含まれる物を読み解く努力をしなくなるのではないかなと気になります。隣にある絵や写真から推測して読んだり注釈が下にあるからそれで訳してしまったり…。文法にとらわれてしまったりとかで訳してしまったら終わりな文章解釈止まりで「外国語を解して言葉が通じる」というレベルに発展してません。
せめて、例文も彼は学生で学校のカフェテラスに友達のだれそれと来ています。彼はランチを食べようと来た。空いている席を探しています。今日は彼の好きな○○ランチを食べようと考えてます。それはとても安くておいしいですー。なんて話だったら訳してても共感があるのになぁー(笑)
姪に私が突っ込みを入れるのでプリントを進めれなくて邪魔ばかり。とにかく単語を覚えれるように書いてる最中、横で単語を繰り返し読み上げてあげました。あんな英語の勉強じゃ、語学が使えるようになったら楽しいなぁという気持ちになれるのかしらと疑問に感じます。
教科書を変えるとかだけに問題があるのではなくて英語や外国語など勉強するとはなんぞやという根本的から考え直さなければならない気がします。

ここもわたしの上の感想と同じです。

(3)
姪と英語の勉強の延長で英語力が無い私なりに単語をむちゃくちゃに繋げて英語で姪と会話にトライです。真面目じゃなくお笑いです)^o^(
私「あなたの名前は何ですか?」から始まり、「何歳ですか?どこに住んでますか?家族を紹介して下さい。家族は何歳ですか?仕事は何ですか?お爺さんの誕生日はいつですか」「大阪に住んでるんですね。是非、案内して下さい。大阪のおいしい物は何ですか?それはどこで食べれますか?」
姪「お好み焼きが美味しいです」
私「大阪にはイカプレス焼き焼きってのがあるじゃないー。それはどこで買えますか?いくらですか?」
「阪神デパ地下ビー一階」(´・ω・`)
あぁ、だんだん英単語を連ねていただけのカタコト会話も和製英語や日本語になってきてしまい英語力の無さを益々展開していきます。
姪は殆ど答えれずまた調べておくと自己紹介や家族紹介すらできません。
いったいなぜですか?
パパ、ママ、弟、妹や祖父母までは単語が出てきましたが叔父、叔母、いとこが言えず、年齢の数も大きな数だったら言えません。
誕生日はなんとか言えましたが、かなりヤバいし(*´д`*)
あんたのママはメイ、3月、弥生月だよと話しました。
大阪を案内して下さい。名所はどこですか?
話せたらきっと良いのになぁ(〃▽〃)
そして最終、私と姪がこの日覚えたのは「アイ ウォント メニー メニー マネー!(・∀・)」私は沢山お金欲しいです。宿題のプリントの最後のページの確認テストに「私は~が欲しい」というのがありました。楽勝で英訳する私と姪。「アイ ウォント!」(笑)
次に会う日までに私は姪と「私はトイレに行きたいです。それも大至急です。少し待っていてください。(TOT)」「あぁ、それは大変。急いで行ってきてください」を英語にしていざというときに使えるように覚えようて言ってました。(いざっていつだろう…?)
ともかく使える会話が英語で身についてないのではあんまりだと話してました。
本人の姪自身は何にも感じていないのかあまり英会話や語学力について興味がない様子で取り組む気がない。会話なんてできないなら「私は英語が話せません」だけが話せたら困らないと言うのです。確かに日本に住んでいて英語が話せなきゃならないわけではありません。必要性が無いから取り組むよりもテストで何点取るか、どこに進学するかが大事だから入試で必要な英語の問題を解答できるならそれで良いんだろうなぁという感じでした。今の日本の教科書自体に問題があるのか、それとも学校の指導要領の内容や入試さえパスしちゃえばそれでいいというお受験社会が悪いのか。ともかく英語だけに限らず他の教科でもこの調子で一定のパターンの中での勉強をしていて、応用力がつかない勉強ばかりな教科書。数学のテキストもやはりこんな調子で指示された通りに進めるばかりでその逆ならどうなるか、また他の見方からだと違う形になるなどの発展させる考える力を養うような例題やポイント、アドバイスもないので例題、練習問題さえ解答できたらそれはオーケーなのかしら?そんな調子で次に進んで良いのでしょうか?それは考える事がなければ疑問に感じないままに進みますから気にならないかもしれません。全体的に今の学校ではどんな勉強をしてるのか、それは学ぶ場として知識をつけて物事を理解する力をつけれてるんだろうか?考える力は付いてるのかなと不思議に感じました。
こんな会話をして実際に学校のテストで勉強したのを点数として出せなければ私は姪の勉強を邪魔してる邪魔邪魔オバサンです(笑)
ますます姪は成績が落ちて英語が嫌いになるかもしれません。
あんまり邪魔しないようにしたいもんですね(笑)

教科書自体にも問題があるし、教科書制作のガイドラインである指導要領には
もっと大きな問題があるし、「考える力」を下手につけてもらっては困るという
学校や社会にももっともっと大きな問題がありますね。

そこから、自分で考えられない人がいっぱいおとなになって、学歴や、TOEICの
点数や、英検や、各種検定試験で 心の安定 をもらおうとするのでしょうね。

ううう・・・

杏樹さん、お友だちのメールを送ってくださって、ありがとう!