「単語の暗記」と「もののなまえをしりたい!」を読んだある人から、
「え!? さかいさんは辞書引くのを許すんだ!?」
という反応があり、G.K. Chesterton のブラウン神父ではありませんが、
わたしは「またやってしまった・・・!」と心の内で叫びました・・・
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世の中のことは一筋縄ではいかないものだとわかっているはずなのに、
ついつい誤解を招く表現をして冷や汗をかきます。
今回誤解を生んだのは、わたしが勝手に
「単語の暗記=お勉強」 vs 「もののなまえをしりたい!=好奇心」
とわけて考えていて、それをみなさんと共通であるかのように思い込んで
舌足らずになったためです。
もう一つ原因があります。お勉強と好奇心のちがいはおそらく非常に微妙で、
多読をはじめたばかりの人が辞書を引きたくなったときに「これは好奇心で
引くんだ!」と言い訳にしてしまう可能性を考えていませんでした。
告白を送ってくださった「×××」さんはもう何年も多読している人なので、
辞書を引こうが何しようが放っておいていいと思われます。
それで、「物の名前を知りたいならどうぞ辞書を引いてください。その際、
罪悪感など感じなくてもいいですよ」という意味のことを書いてしまいました。
(いま辞書と書きましたが、多読初心者を抜けた段階で物の名前が知りたい
ときには図鑑やGoogleの画像検索をおすすめします。
いわゆる動詞や形容詞や副詞は引かない方がいいでしょう。
そうした語もいつか Google 映像検索 などができるようになったら、
多読初期段階を抜けたところで引くといいでしょう。)
多読をはじめたばかりのみなさんは決して辞書を引かないつもりでいてください!
これも多読のパラドックスですが、「辞書禁止」という縛りは学校英語の縛りから
解放されるために必要な人が多いのです。
はじめのうちどうしても引いてしまう人はしばらくそのまま引いてもいいでしょう。
でも、ご自身が徐々に辞書を引かなくなるか、それとも辞書を引きたい衝動が
変わらないか--そこをよく観察して、辞書依存がなくならないようなら、
きっぱり辞書を捨てましょう!
では人はいつ「多読をはじめたばかり」ではなくなるのか?
そうですね、人によってちがいます。
要するに多読三原則で学校英語の縛りを抜けたら、引いてもいいでしょう。
では、縛りを抜けたことはどうやってわかるのか?
人によってちがいますが、共通点を探すとすれば、「単語がわからないことが
気にならなくなったら」縛りを抜けはじめたといってよさそうです。
でも、その段階に入ってすぐに辞書引きを復活すると、
辞書依存が完全復活するかもしれません。
またしても必要なのは冷静な自己観察でありますね。
本当に辞書を引いてもいいのは、「辞書ってなんのためにあるんでしたっけ?」と
考えなければならなくなったとき・・・? (中島敦の短編「名人伝」をお読みください。)
In any case…
「さかいさんは辞書を引くことを許すのか!」と受け取られたとしたら、
わたしの大きな舌足らず(それとも舌が小さすぎ?)でした。
謹んでお詫びし、訂正いたします・・・
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