多読で文法は身につくのだろうか?

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復活ブログの実質第1回にふさわしい、とっておきのメールを紹介します。

多読にとっての永遠のFAQ「多読で文法は身につくのか?」からの再出発です。
ある方からいただいたメールを紹介しますが、
多読しながら「むずかしい文法事項(would)」が体得できることを示す好例だと思います。

けれども、メールの最後にご本人が書いているように、
まだ「wouldってなんだろう?」と思っていて、これからわかる人が
いつか「あ、そうか!」とわかるよろこびを奪うかもしれませんね。

でもわたしはそんなに心配していません。
wouldやas以外にもおもしろいことは山ほど、無限にあるので、
一つや二つや三つや四つや五つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
くらい「ネタバレ」されてもちっとも楽しみは減らないはずです。

それにほかの人の喜びを知ることが自分の喜びになることだって、ある!

私が多読をしていて一番嬉しかった瞬間--「’would’が理解できた」と感
じられた時--に至る課程をお知らせします。

高校の最初の授業で英語を放棄した私には、’would’なじみのない単語で
した。

英語を離れ、?十年。少し英語を学んでみようと思い、旅行英会話や日常
英会話という本を手にしました。その中には’Would you …’ や’I would
like to …’ 等の表現が沢山ありました。初めて見たように思います(忘れて
しまっていただけかも・・)
‘would’は丁寧な言葉だと説明されていました。何故なのかは分かりません。
とりあえず決まり文句のようなものだろうと、自分に言い聞かせ、やり過ごし
ました。

多読を始めた後も、’would’が何を表しているのかは、ずっとわかりません
でした。
たぶん飛ばして読んでいたのだろうと思います。簡単な本なら’would’を飛
ばし ても、 問題なくストーリーを楽しむ事ができます。

最初に’would’の壁に突き当たったのは、Nancy Drewミステリを読んだ時
でした。
この本には’would’が沢山出てきました。(今考えてみると、ミステリなんだか
ら当然ですね)いつものように意識もせずに’would’を飛ばして読んでいたら、
大変なことになってしまいました。
ストーリーが追えないのです。事実と事実でない事の区別が付きません。
読み終えてはみたものの、大きな敗北感が残りました。

そこで単純に「ミステリが読めないのなら、もっと簡単なミステリを読もう」と
考え、 ‘The New Adventure of Mary-Kate & Ashley’を何冊か読み
ました。 簡単なストーリーなので、’would’は無視しても平気です。
でも、Nancyの苦い経験から、つい’would’に目がいってしまいます。
そして、気が付いたのは、
『’would’がついている時は、事実では無いことが多い』 ということです。

ちょっと気を取り直して、’Nancy Drew’の前回とは違うストーリーに挑戦しま
した。
「’would’は事実ではない」と勝手に決めておけば、ストーリーは追えます。
さらに
『Nancyが推理している時に’would’がよく使われている』
『’would’の周りに’if’がある事が多い』 と気付きました。
そして
『’if’の条件の中での出来事が’would’』
として読んでみると、ミステリらしく推理しながらストーリーを楽しむ事ができ
るではないですか、\(~o~)/です。

それ以来’would’を見ると、’if’の条件を探す癖がつきました。
ただ、時に周りに’if’のない’would’に出くわします。でも、そんな時の’if’の
条件は、ちょっと考えるとすぐ分かることが多いのです。「その時だったら」
「過去だったら」等、
話し手と聞き手は、’if’の条件を、もうすでにストーリーの中で、共有している
場合がほとんどだからです。

いろいろ読む中で、印象的な’would’がありました。
主人公が使った’I would …’の言葉に、’何か隠している’と友人達が心配
するワンシーンでした。

このシーンで、会話の中の’would’には、’if’の気持ちが含まれていることを
より確信しました。
受け手も’if’を含んで受け止めているようです。

そしてこの時、’Would you …’ や’I would like to …’ が、なぜ丁寧な
表現なのかが理解できました。
言葉には表していないけれど、’would’と一緒に’if’が送られているのです。
「もしよろしかったら・・」等等、相手を気遣う言葉です。そして受け手もそれ
を理解しています。
これが、わかった時の気持ちは最高でした。
意味の分からない単語だった’would’が、ただの決まり文句と思ってた
‘Would you …’ にまで自分の中で、つながったからです。

最初の’would’の壁に突き当たってから、たぶん200万語以上読んでいた
だろうと 思います。
ずっと’would’ばかり見ていた訳ではありません。
むしろ、’Nancy Drew’を読むことが出来てからは、とりあえず不自由は感じず、 ‘would’は適当に読んでいたと思います。

文法的にどうなのかはわかりません。これからも、もっと多くの’would’に出会い、 もっと違う使い方にも気づくかもしれません。
でも、私は’Would you …’ や’I would like to …’と話しかけられた時、
一緒に送られているであろう’if’の気持ちを感じる事ができます。
決まり文句としてではなく、この言葉を使う事ができると思います。

多読を通して英語と接し続け、本当によかったと感じた瞬間です。

正直、私の英語力では、読書をするのは決して楽ではありません。
簡単な本を読んでいるときでも、暗闇の中を手探りで歩いているような感じ
です。
英語がわからない分、自分の五感、知識、想像力等、持てる力すべてを
総動員して 読書しているように感じます。
でも、楽しくないかというと、そうではないのです。とても楽しいです。
不思議ですね。

長くなってしまい申し訳ありませんでした。
こういう事って、自分の感覚だけの事ですので、掲示板には書けません。
(たぶん、皆さん、それぞれの’would’をお持ちのはずだから・・)
先生がメールで読んで下さるだけでも、嬉しいです。
また、何かありましたらメールさせていただきます。

would一つについてはみなさんの発見の楽しみを奪ったかもしれませんが、
このメールを読むことはそれ以上の喜びだったかもしれませんよ。

「奇跡の人」という古い映画があります。この映画の最後で、サリバン先生の
支えのもと、ヘレン・ケラーは井戸で水を手にかけながら、waterという言葉が
自分の手にかかっている冷たいものを表すことに気がつきます。

このメールをくれた人は、wouldについて、ヘレン・ケラーのwaterとおなじ発見を
したのだとわたしは思います。多読と文法について考える人は、何度でもこの
メールを読み返してはどうでしょう? このやっかいな問題にいつもさわやかな解答を
与えてくれるはずです。

Aさん、ブログ復活第1号にこれ以上はないメールをありがとう!