KimiRaさんの翻訳をもって、「町の名前を一つ」の翻訳を一応まとめます。
わたしにとってはとんでもない驚きの経験でした。
「町の名前を一つ」をブログの題名にして、原詩をブログのトップページに
載せたときは、まさかこんなことになるとは思っていませんでした。
それが、Hydeさんの詩を紹介したところから、あれよ、あれよという間になんと
17人のみなさんがあの詩を英語で書いてみた・・・・・・・・・・・!
あまりのことにどう考えてよいのか、よくわかっておりませんが、
いまあの大事件からわたしの心に残ったことをいくつか箇条書きに。
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* 英語の先生たちは ぶっとんでしまうでしょうね。
どの詩もまちがいだらけ!
* でも、わかる先生は驚天動地の思いをするにちがいない。
やられたー! と思うはず。こんなにのびのびした「英作文」があったのかと。
* やられたー! の理由は、英文ライティングを「正しい、まちがっている」という
ところから見ることのまちがいを思い知らさられるからでしょう。
* みなさんにとっては、「正しいか、まちがっているか」なんて本当にどうでもいい
のですね。「町の名前を一つ」の詩に何かを感じて、それを英語にすることを
楽しんだ。読む人には書いた人の楽しさがちゃんと伝わってくる。
* そして、「これだけいろいろな感じ方、書き方があると、あとはそれぞれの好み」
ということがすっきり納得できる!
* みなさんのまちがいはひじょーにおもしろい!
みなさん多読でかなり解放されているのではないかと思える節があります。
* というのは、間違い方が学校英語の間違え方とちがう・・・
読んだ語数や、どこまで学校英語の「達人」だったか、と
「正しい」英文を書くこととはかならずしも比例していないようだ
* 学校英語の文法教育があまり影響を残していないのか、
みなさんあまり文法には熱心ではなかったのか?
* いずれにせよ、こうやって多読的ライティングへの入り口が一つできた
可能性があります。 つまり、Free Writing と 詩の翻訳と、
入り口が二つになったのかもしれません。(ほかにも見つかるとよいのですが)
(* そして、いつか作法の文法を身につけて、業界、専門などの関係者に
わかりやすい文章が書けるようになる・・・?)
いまのところはみなさんの翻訳からわたしが学んだのはこんな具合です・・・
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