2013年 4月 の投稿一覧

音寄りの人<<<>>>文字寄りの人

「katobushi」さんがフォーラムで「音と文字のバランス」というトピックを立ち上げて、
わたしの言う多読・tadokuは

根本的なところで、tadokuはかなり「文字より」なんだと感じた 」

と書いています。なるほどわたしは「絵が大事、音が大事」と言いながら、
いまわたしがやっていることはかなり「文字より」だとあらためて思いました。

そこで、上のリンクで書いたように、もっともっと「音より」に舵を切っていきます。
もちろん、「音寄りに近づいていく」のではなくて、「音から出発」できればいちばんいい
のでしょうけど、 そこは「文字から出発」したさだめ、おたおたもじもじした動きは
「音よりの人」から見るともどかしいこともあるでしょう。
ま、わたしとしては必死で軌道修正していると思ってください。

でも、これは軌道修正が停滞していると見えたら、ぜひまた電気ショックを与えてください!

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ところで、「音寄りの人、文字寄りの人」という区別もスローガンです。警戒しなければいけません。
二つの種類の間はおそらく色合いが無限にあるはずです。 

自分にしろ、ほかのひとにしろ、音寄りの人、文字寄りの人と決めつけないようにしましょう。もちろんわたしも気をつけます。

(かつてはずばり「音の人、文字の人」という二分法の言い方もしました。「音寄りの人、文字寄りの人」という言い方はそのあたりに気を遣ったものと考えてください。)

こんな「区別」はこれまでの「外国語教育」ではだれも話題にしていないだろうと思います。
世界では外国語をまず音として吸収して、それから音として発するのが普通だろうからです。

わたし自身ここ数年気にしはじめたことでもあり、だれもそんな区別の「妥当性」、つまり本当にそんな二種類の人がいるのか、二種類ははっきり違うのか、どの程度違うのか、といったことは知りません。

多読による外国語獲得がわたしの中では以前として仮説であるように、「音寄りの人、文字寄りの人」も仮の区別です。

劇薬シャドーイング再訪

劇薬シャドーイングについては、その「すすぎ洗い効果」に自信を深めつつあります。

劇薬シャドーイングを数分から数十分すると、英語にせよ、ほかの外国語にせよ、
音が明瞭に聞こえてくるというのはほぼ確実なようです。

その先どうなるのか、については今後続報をお届けしますが、
きょうはこんな報告を・・・

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多読がはじめてテレビに登場!

単に「はじめて」を記録しておくだけですが・・・

きょう、4月18日午後5時からの日本テレビのニュースの中で、
全国の高校で「英語による授業」が始まったことがニュースになって、
小松川高校の一井さんの授業が大きく採り上げられていました。

その中で多読についても結構な長さ(2分か3分?)の紹介がありました。
全国規模のテレビ放送で多読が採り上げられたのははじめてではないかな?
これも多読が広がる段階から浸透する段階に入ってきたということなのだろうか?
よいような、わるいような・・・ ま、がんばって「よく」しないとね!

一井さん、ご苦労さまでした。よかったよ!

(おっと、がんばって「よい多読を広めよう」というのではありませんよ。
そう簡単に広げることはできません。広がりの中心をしっかり保持していこうという
ことです。広がれば広がるほど薄くなります。わたしたちの仕事は中心をしっかり
保持して薄めないこと。それを受け入れるかどうかは世間の仕事。
広げようとして無理をすることはありません。)

いわゆる「GR」の功罪について・・・

これは微妙な問題だということは最近どこかで(きのう?)書きました。

いろいろな意味で微妙なのですが、この春休みに、まったくちぐ方面から二人の
英語の先生がNPO事務所に来て、よく似た話をしてくれました。

その上、この記事の「続き」に載せるような感想が T さんから寄せられるに至って、微妙だけれどもはっきり書いてしまおう・・・ということに・・・

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成功は失敗の元

これも書きにくい話題です。けれども「MIKI」さんがfacebookでこのことを
わたしに問い質したので、やはり書きましょう。

普通は逆ですが、失敗は成功の元 であるように 成功は失敗の元 という場合も
同じ数だけあるのではないだろうか?

これを「成功体験」という風に言うと、わかりやすいのでしょうね、昨今は・・・

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