「katobushi」さんがフォーラムで「音と文字のバランス」というトピックを立ち上げて、
わたしの言う多読・tadokuは
「根本的なところで、tadokuはかなり「文字より」なんだと感じた 」
と書いています。なるほどわたしは「絵が大事、音が大事」と言いながら、
いまわたしがやっていることはかなり「文字より」だとあらためて思いました。
そこで、上のリンクで書いたように、もっともっと「音より」に舵を切っていきます。
もちろん、「音寄りに近づいていく」のではなくて、「音から出発」できればいちばんいい
のでしょうけど、 そこは「文字から出発」したさだめ、おたおたもじもじした動きは
「音よりの人」から見るともどかしいこともあるでしょう。
ま、わたしとしては必死で軌道修正していると思ってください。
でも、これは軌道修正が停滞していると見えたら、ぜひまた電気ショックを与えてください!
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ところで、「音寄りの人、文字寄りの人」という区別もスローガンです。警戒しなければいけません。
二つの種類の間はおそらく色合いが無限にあるはずです。
自分にしろ、ほかのひとにしろ、音寄りの人、文字寄りの人と決めつけないようにしましょう。もちろんわたしも気をつけます。
(かつてはずばり「音の人、文字の人」という二分法の言い方もしました。「音寄りの人、文字寄りの人」という言い方はそのあたりに気を遣ったものと考えてください。)
こんな「区別」はこれまでの「外国語教育」ではだれも話題にしていないだろうと思います。
世界では外国語をまず音として吸収して、それから音として発するのが普通だろうからです。
わたし自身ここ数年気にしはじめたことでもあり、だれもそんな区別の「妥当性」、つまり本当にそんな二種類の人がいるのか、二種類ははっきり違うのか、どの程度違うのか、といったことは知りません。
多読による外国語獲得がわたしの中では以前として仮説であるように、「音寄りの人、文字寄りの人」も仮の区別です。
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