多少大げさな件名ですが、実は多読の本質に関わることだと、わたしは考えています。
一言でいえば
多読は研究対象にならないので、いままでとはちがったやり方をしなくちゃならない
それは「若く、いい加減な三人」を見てわかったことです・・・
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「をさなごのやうに」--わたしが秘かに(?)抱えていて、
何か 多読/tadoku について判断するとき、理解しようとするときに
常に参照する 物差し みたいなものですが、
先日水曜日夜の「だれでも多読サークル」で聞いた二人のこどもの話、
そして、3月10日に「○○ちゃん」に会って聞いた話から、
また一歩「をさなごのやうに」の有用さがはっきりしたように思います。
(いかん・・・ メモなのに、またしても筋立てようとしている・・・)
* 多読は「いい加減な、何も考えない人」にとっつきやすい?
多読サークルの若い二人はいわゆる多読にうまくはまって、
えー?! どうしてこんな本(朗読)が楽しめるの?!
というようなこどもたちです。
この二人のおかあさん同士が「どうしてうちの娘はこんなことに?」と
情報交換をしたところによると、最大の共通点は「いい加減なこと」
だそうです。
そういえば、多読サークルには中学1年以来4年くらい通っている女の子が
いますが、この人も見かけによらず、実にいい加減な人のようです。
* 「いい加減」な人は 多読/tadoku にすんなりとなじむので、
自分に何が起きているか、説明できない。
○○ちゃんがそうでした。何を聞いても首を傾げるばかり・・・
でもそれこそが 多読/tadoku がうまくいっている証拠とも言えるかも
しれないのです。
* したがって、多読/tadoku がうまく行った理由を面接によって明らかに
しようとしても、それは不可能。
大きな矛盾ですねえ・・・ 研究する側にとっては。
そこでいわゆる「研究」とはちがったやり方が必要になるのですが、
それはまたいつか。
でも、簡単に書いておくと、試験をするには試験する対象(話題と人)が
すっかり解明できていないと、何を試験していいのかさえわかりません。
その点はわたしがよくやる面談の場合もたいして変わりません。
面談の場合は試験とはちがってテスト項目(知りたいこと)を決める必要はなく、
相手の言うことを聞いて質問を変えることができますが、
それだって根本的に 多読/tadoku の核に直接切り込めるわけでは
ありません。
結局、多読/tadoku を解明するには、多読/tadokuによって、
何が達成されたかを見て、想像するしかないわけです。
このメモは「CKK」さんのメールに刺激を受けて書いています。
CKKさん、ありがとう。
CKKさんも含めて、みなさん、ご自分が英語獲得についてどのくらい
「いい加減」か、確かめてください。
もっとも「確かめる」ことも、上の3人、4人の例からすると、いい加減ではない
ことになるのかな?
またしても矛盾ですね。
その矛盾を一気に解決するには 「をさなごのやうに」 行くしかない!?
(をさなごのやうになるための 劇薬シャドーイング なのでした・・・)
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