タイトルにたいした意味はありません。
そもそもわたしは真、逆、反だったかな? そういう用語さえわかっていないので。
でも、TOEICや、あらゆる試験の矛盾、罠、欺瞞については確信があります・・・
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先日の金曜日にある多読仲間が研究室に現れて、
教務補佐員の女性と3人でTOEICの話になりました。
詳しく書くと長くなるので、肝心の要点だけを書くと・・・
わたしたちは さまざまな会社が入社や昇進にどんな点数を必要としているか、
という話をしていました。つまり、ときどき新聞などで話題にある、
ある課長昇進にはTOEICXXX点が必要といった話ですね。
そこで、教務補佐員さんがとてもおもしろいことを言ったのです。
「わたしの点数なら重役になれる!」
TOEICの点数だけで判断すると、たしかにその通りのようです。
それを聞いて、わたしは「おおそうだ!」と思いました。
長い間、世の中のTOEIC狂い、試験狂いに異を唱えてきましたが、
これまでどうも説得力がありませんでした。
けれども、これを使えば少し説得力が出るかもしれない!
つまりですね、いくらTOEICの点数が幹部並みでも、
研究室の教務補佐員さんを英語の点数だけで幹部にする会社はないでしょうね。
同じように、
TOEICの点数が高いからといって、英語を適当に使えるとは言えない
ということと関係が似ていると思うのです。
もう少し詳しく書くと・・・
帰国子女と言われる人とか、英語を母語とする人たちがTOEICを受験すると
たしかに高得点になるようです。
そこで、世の中のほとんどの人は
× 英語が使える人はTOEICの点数が高い。
だから英語ができるようになるためにはTOEICの点数を上げればよい。
と思いこんでしまう・・・
そうでしょうか?
この相関関係というのは一方通行ということはないでしょうか?
つまり、
英語ができる → TOEIC高得点 はあるとしても、
TOEIC高得点 → 英語ができる
とはかならずしもならない・・・
これを 「逆は必ずしも真ならず」というのかどうか、それは自信がありませんが、
ま、そう表現すると、「英語力とTOEIC」の関係がわかりやすくなりそうです。
TOEIC高得点の人が帰国子女や母語話者のように英語を使えるということには
ならないのはもうほとんど常識のように思われます。
その理由はごく簡単で、あらゆる公開の試験は対策が可能だからです。
英語全体の知識や運用能力を測ることが不可能なので、
(可能にするには、被験者を英語国に放り込んで、何日か、何週間か、
何年間か、英語を使ったコミュニケーションの様子を観察しなければ
なりません。)
ごく一部を採り上げて試験することになります。試験が意味を持つには
回数を重ねるひつようがあり、そのためには一定の形式やレベルを
保つ必要があり、結局対策が可能になってしまいます。
試験とはそういうものです。
試験対策に血道を上げる世の検定試験狂い、資格狂い、数字狂いは
わたしには自分に自信を失った日本が切ない自信回復の努力をしているように
見えます。しかも内輪だけの・・・
ある仲間から非常におもしろい意見をメールでいただいています。
いまブログへの掲載を許可してくださいとお願いしているところですが、
もし許可が出なくても、その人の考えのうち、わたしが賛成の部分については、
かならずブログでお知らせしようと思います。お楽しみに!
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