「方法論のみを追うものは堕落する」 コロガセ コロガセ ビイル樽

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大島渚さんという映画監督の作品はわたしには合わないのですが、
おそらく新左翼の活動が活発だったころ大島渚さんが言ったことばで
いまだに鮮明に覚えているものがあります。

それが表題の「方法論のみを追うものは堕落する」であります・・・

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一部の人には耳の痛いことを書きます。

学習法を追い求める人は結局学習したい対象を手に入れることはできないでしょう。
少なくとも、わたしは手に入れた人をみたことがない。みなさんはありますか?

  (そういえば翻訳家の山岡洋一さんは「翻訳法」の本を書いている翻訳家で
   ちゃんとした翻訳をする人は見たことがない」と言ったことがあります。
   わたしは深く頷きました。)

つまり外国語の学習法の本を買い漁り、読み漁りする人は、目的の外国語を獲得
することは非常にむずかしいと思われます。

また、多読を学習法の一つと考える人たちは、どうもいつまでも英語の点数や
資格にかかずらって、その先へ進まない傾向があるようです。

  (その一方で、学習法と考えていない人たちは実に自由に「読書」や「映画」や
   mangaやSkypeやFacebookや、趣味の海外フォーラムに進出していきます。)

さきほど「みんなの広場」の掲示板に投稿したことと深く関係することですが、
多読を学習法と考える人たちはおそらく多読村に来てもほとんど得るところはないと
思われます。もちろん多読村に通ううちに「多読は学習法ではない!」と気がつくかも
しれませんから、まったく無駄ではない可能性はないではない・・・

多読は学習法ではないので、頭を使わずに従えば済む「レール」はありません。
多読三原則で学校英語(または「正しい英語」)から解放されたら、
あとはどこへでも自分の足で歩いて行けばよいのです。

  (実際には楽しくたくさん吸収し吐き出せば、正しくなっていきます。
   それは鴎友学園の先生も証言しています。くわしくは6月号の「英語教育」誌
   をお読みください。 また、母語についてはだれでもかならずそうなることも、
   明るい指針でしょう。(なんらかの障碍がある場合もあります)その過程を早める
   には「他人の眼」が必要なようですが、他人の眼を自分で持つことも可能です。)

以上のことをわたしはみなさんにちゃんと伝えていなかったのかもしれません。
それで、「英語学習」については最後までわたしに面倒を見てもらおうという人たちが
出てきたのかもしれません。

「蹴りたい背中」と題した記事で何度かわたしはわたしの焦りを表明しましたが、
わたし自身がはっきり言っていなかったから、みなさんは次の一歩を踏み出さな
かったのかもしれませんね。

またしてもわたしの舌足らずが露呈したようです。深く反省しています。
これからは一人で歩けるようになった人の外国語獲得についてはもっとはっきり
突き放そうと思います。

突き放して、みなさんはゴロゴロと 赤い落日(イリヒ)のナダラ坂を落ちていくのです。