英語育児は・・・ 「みちっぷ」さんからのメール

Pocket

本当に英語育児の話題ではすっかり筋道を見失っておりまして、
わたしの頭の容量の小ささを嘆くばかりです。

この話題でみちっぷさんからいくつも大事なメールをいただいていて、
わたしの頭の中では「英語育児はいかがなものか」とは少々独立しかかっています・・・

***********************************

自分の頭の整理もかねてここまでの経過を思い出してみると、
英語育児の話題は「haruharu」さんからのメールにはじまったのでした。

その紹介の途中で、「こどもと親の距離」のような話がはいってきました。
いや、入ってきたのではなくてわたしが「入れた」のですけどね。

それで、わたしにとっても痛切な親子の距離の話題に少し移ってきたと思ったら、
みちっぷさんの次のメールが来ました。

この前 The Janitor’s Boy by Andrew Clementsを読んででおりましたら 車の中で学校の用務員の父は息子にこういうのです。
 
My life is my life, and yours is yours. I’m just gald that we get to run side by side for a few years, that’s all。
 
しばらく何度も読み返してしまいました。
子供のことで悩んでいるすべての親御さんたちにかみしめてもらいたい言葉でした。
あまりに感動したのでつい先生と共有したく付け加えさせていただきました。
 
こういう文章に出会えただけで 多読していてよかったと。
先生ありがとうございます。
 
みちっぷ

うーん、わたしはしばらく黙ってしまいました、このメールを読んで・・・

親子の関係というのは、だれにも自由にはできないもの、つまりある程度成り行きに
まかせるしかないと思いますが、そうは思ってもいろいろ悔いが残ります、あきらめ
きれません。

たとえば、わたしの場合は最初のこどもが小学校に入る前から、
「小学校に行かせたくない」などと夢のようなことを言っておりました。

そういう姿勢がこどもにどんな影響を与えたのか、測りがたいこととはいえ、
常に頭を離れないのです。

したがって、上の英文にあるような、言ってみれば「悟った」かのような言葉に
簡単に共感するとはいえません。

言えませんが・・・

わたしの一つの夢ですね、このおとうさんのことばは。それはたぶんたしか・・・

でもね、煩悩の塊ですからね、ぼくだけじゃないでしょう、だれでも。
なかなか上のようには言葉として発することはできません。

でもね、上の言葉の方向に自分の道があるんだということは確信しております。
それだけに常に忸怩たるものがあります。きれいさっぱり「こどものためを思って
いろいろやってるんだから、悪いわけはない!」と言い切りたいものですが、
わたしにはそれはできない。ずっとじくじく忸怩、です・・・

うーん、これは多読的日乗のカテゴリーになってきましたね。

それはともかく、みちっぷさんが上の文章にこんな風に感じられたこと、
すごいことだと思います。

みちっぷさんがはじめてこどもたちと一緒に研究室においでになったときのことを
わたしは鮮明に覚えているのです。

東1号館716室に現れて、それから602室でこどもたちと多読をはじめたとき、
みちっぷさんはこどもたちに寄り添うようにして、一緒に読もうとなさった。

わたしはそれを見て、すぐにみちっぷさんに教室の対角線上のいちばん離れた
ところに座って、お一人で本を読んでいただいたのでした。

差し出がましい発言ですが、みちっぷさんはそのころから比べると
ずいぶん変わられた。上の英文に感銘を受けていらっしゃるみちっぷさんに、
わたしは感銘を受けます。

けれどもおそらくみちっぷさんも上の英文通りにはできないと感じていらっしゃる
のではないだろうか?

それはわたしの気持ちでもあります。

    (上の英文はほとんど芭蕉が道ばたに捨てられた赤ん坊をそのままにして
     立ち去ったという話を思い出します。)