Bernal’s Ladder が棒に当たった!

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7月29日に Bernal’s Ladder を紹介したとき、「Julie」さんのブログの
「多読してると棒に当たる」という記事からはじめたのでした。

と思うまもなく、先日の記事の次の日だったかな? いや、いま調べたら
8月1日(土曜日)の朝日新聞にBernal’s Ladderの3段目そのものの記事が出て
いると、ある人から知らせてもらいました・・・

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Bernal’s Ladder そのものは次のようなものでした。

1. It can’t be right.
2. It might be right but it’s not important.
3. It might be important but it’s not original.
4. It’s what I always thought myself.

それで、最初の記事では世の中一般は多読について第3段目にいるようだと
書きました。つまり、多読が役に立つことは認めよう、でも多読の効用は昔から
言われていて独創的な主張ではない、というわけです。

「昔から」についても、いろいろな人が多読を言ってきたことになっていて、
この記事では新渡戸稲造以来ということになっています。

 第一級の英語で『武士道』を書いた新渡戸稲造は札幌農学校時代、
図書館の英書をほとんどよんでしまったようです。英語の達人たちは
多読によって膨大なインプット(入力)をしました。漢文のような素読も
いい。音読は話すことにも役立ちます。どれも目新しいことはありません。

「多読」ということばがこんな風にさらっと使われるようになったことは実に
喜ばしいことであります。けれども最初の記事で書いたようにわたしとしては
早く世の中全般が第4段目になってほしいと思っています。できれば「多読」
ということばさえ使われないほど多読が当たり前になることが望みですが、
それはめまいがするほど高い段、いわゆる高望みにすぎるかもしれませんね。

それはまあともかく、多読してると本当に次々と、いろいろな棒に当たりますね!