(最後の数段落に10時間前とはちがう大きな訂正があります。)
普通は「アリとキリギリス」でアリます。
そしてもちろん夏の陽気に浮かれて歌ばかり歌っていたキリギリスは
冬が来て食べるものも着るものも、住むところもない惨めな存在となり、
一方暑い夏の間汗水垂らして働いたアリは冬が来ても暖かな穴の中で
蓄えたものを食べながらのうのうと寒さをしのいでいる・・・
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さて、この話にどれほどわたしたちの暮らしを正確に映したたとえかはおくとして、
そうした姿勢は少なくともわたしたちのお勉強の姿勢をよく映していると思われます。
(実はまたしても「下書き」を公開してしまいました。
「下書きを公開しては削除」ばかりするのもおかしなものなので急いで公開
できる形にします。)
わたしたちの気持ちのあり方には、骨の髄まで「まじめ、誠実、几帳面、一点一画を
疎かにしない」といったことが染みついているようです。
それはそれで美しい・・・ そうしたきちんとした暮らしを何事もないかのように作って
いる人たちは、見ているだけで心が洗われます。
けれども外国語の学習では、そうしたまじめさは必ずしもよい方向に作用しない
ようにわたしには見えます。
まじめさ は きちんと と 結びつきやすく、
きちんと は 正確さ と結びつきやすく、
正確さ は 間違えないように に 結びつきやすく、
そうした結びつきはわたしたちの心や口をがんじがらめに取り巻き、縛ってしまう
ように思われます。
外国語の中でも英語はとくに「正しい、正しく」と結びつきやすいようです。
翻訳家の山岡洋一さんはフランス語圏で英語の通訳をした経験がおありですが、
おもしろいエピソードをわたしに語ってくれたことがあります。
仕事は英語で行われるので山岡さんが通訳として間にはいらなければならないのに、
休みの日に町へ出て遊ぶうちにフランス語はなんとか話せるようになってしまった
のだそうです。
そこから山岡さんの引き出した結論によると、英語はだれにとっても「正確に」という
プレッシャーが強いのだ、ということでした。(言葉遣いは違うかもしれません。)
家の中は散らかり放題、机の上は書類と本とノートが山のように積み重なっている
--それなのに、英語の勉強となると、急にかしこまって辞書を引き、文法を
たしかめ、きちんとした日本語に訳さないと「わかった気がしない」--これは
典型的な「正しい英語」症候群でしょうね。
わたしはこれまでの観察から、「正しい、正しく」という言葉が英語を獲得する上で
最大の障碍ではないかと見当をつけているところです。「正しい、正しく」という
言葉は文部科学省の指導要領で何度も繰り返される言葉です。わたしたちは
指導要領を守った検定教科書と守らされている先生によって、「正しい」英語の
知識をたたきこまれてきました。それはかならずしも正しくはなく、しかも使いにくく、
がちがちの知識に過ぎません。
(その惨状は「さよなら英文法!」でくわしく書きました。)
「正しい、正しく」を追求する文科省とおなじ路線上であれば、トレーニング、ドリル、
継続は力なり、コツコツ、不断の努力-- こういった美辞麗句(?)はお払い箱に
した方がいいかもしれません。
おそらくは不運なキリギリスの方がやり方としては楽しいやつなのでしょうね。
これも多読のパラドックスでしょう。
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