世の中は数字へ数字へと突っ走っているようです。
TOEIC狂いもそうだし、資格試験の大流行も同じ熱狂のように見えます。
おととい(14日)のセンター試験で配布ミスがあったとかで、
わたしが毎日見ている朝日新聞はきょう(16日)の朝刊第1面のトップで
配布ミス 4500人影響
という白抜きの大見出しを掲げています。
配布ミスは朝刊の第1面のトップを飾るほどの大事(おおごと)・・・?
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世の中は数字へ数字へと突っ走っているようです。
TOEIC狂いもそうだし、資格試験の大流行も同じ熱狂のように見えます。
おととい(14日)のセンター試験で配布ミスがあったとかで、
わたしが毎日見ている朝日新聞はきょう(16日)の朝刊第1面のトップで
配布ミス 4500人影響
という白抜きの大見出しを掲げています。
配布ミスは朝刊の第1面のトップを飾るほどの大事(おおごと)・・・?
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かのんさんのブログを紹介したら、反響があちこちからやってきました。
きょうはある人から届いたメールから・・・
多読がきっかけで、何かを始めるときに気負いや、プレッシャーみたいなものも薄らいでいます。
多読三原則を、他にもあてはめて。
結局無理はしない!
ということだと勝手に思っています。和書でも常に読むことはないので、洋書なら当然なんだとも思えるし。
・・・ね、「多読は成熟期に入った」とわたしが書いたことが納得できるのでは
ありませんか?
多読が引き起こした熱狂と興奮が静かに静かに落ち着いていって、
いまはすっかり生活になじんで、特に大事なことでもなくなり、
忘れてはいけないと肩肘張らなければいけないものでもなくなり、
ほかのさまざまな日常のことと同じ温度になってきた・・・
けれども毎日から消えたわけではなく、折りに触れ、気持ちにゆとりができると
ふとそこへ戻るもの・・・ そしていつも同じ微笑みとともに迎えてくれるもの・・・
(「ある人」さん、メールをありがとうございました・・・)
このブログには In the News という連載記事があって、本に関するニュースを
世界中から拾ってきてくれます。本好きにとっては実にコンパクトな情報源です。
しかもわたしには見事ツボ!というニュースの紹介が少なからずあります。
それでしばらく前からわたしは「紹介の紹介」をしてきましたが、
はじめて日本の記事が採り上げられています。
このリンクをクリックして、In the News 本年第1号のリストで、
上から二つ目のリンクをクリックすると元は毎日新聞の英語版に飛びます。
そしてそこから日本語の記事にも行けます。
で、この人の読書相談は多読の読書相談とそっくりです! というオチ・・・
一つ前の記事でわたしはかのんさんが多読(多聴)のことを
安心できる。ひさしぶりに会う友達に、変わってるんじゃないか、ってどきどきしなくてすむ。安心して会える友達、って感じ
と書いていることを紹介しました。
すると福岡の英語の先生「さめちゃん」からメールがあり、スキーのことを思い出した
とのことで、読めば読むほどほんとだ、多読とスキーはそっくりだ!と思えてきます・・・
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ま、昔からの仲間と言っていいでしょう、かのんさんは。
ただし連絡が途絶えていたわけではありません。
名古屋オフや金沢オフ、そのほか「近眼の独眼龍」さんほどではありませんが、
かなり神出鬼没で多読仲間を支援しています。
そのかのんさんが、3ヶ月多読をなさらなかったという記事を書いています。
多読は体に染みこむもののようで、離れていても疎遠にはならないという安心感が
あるそうです。そして実際 Magic Tree House の朗読を聴いて、
安心感は安心に変わった様子・・・
多読はたしかに成熟期を迎えているという気がしました。
かのんさん、ありがとう!
「Kaakoさん」がドイツ語多読10万語報告をフォーラムにしくてくださいました。
いくつか remarkable な点があるので、フォーラムの投稿を紹介します。
* ゼロからだったということ
* 年間3万語ペースで3年かかっていること
* 途中にしばしば中断が入っていること
どれも知らない言葉を始めるのに、敷居をすごく下げてくれると思いませんか?
12月28日と1月4日の リアナさんおしゃべり会 は、リアナさんが可能なら開きます。
なお、skunihide(表示名は さかい@tadoku.org)が起動している場合は
どうぞ文字チャット、あるいは音声チャット可能です。いつでも呼びかけてください!
12月10日に福岡県で英語の先生方を対象に多読についてお話をしました。
終わって、夕方からなつかしい福岡オフ会のみなさんと再会!
中でも「たまこ」さんとはほんとにひさしぶりでした・・・
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きょう12月6日の朝刊1面に「国はなくてもいい」という記事がありました。
やっと・・・ とわたしは思いました。
「国家」はもちろん「国」は用無しにならなきゃいけないとわたしは感じています。
最初にそう思ったのは10年近く前、前年にオックスフォードで知り合った青年が
ブリティッシュ・スクールで先生をやるために東京に来て、
それからしばらくしてまた東南アジアのどこかに転職していった時でした。
そのすがすがしさ、さわやかさは、「ああ、この人には国籍なんて関係ないんだ」と
思わせるに十分でした。
飛行機、テレビ、インターネット、地球環境問題、経済--どれをとっても
国や国家の境目を越えたものであることはよく知られていると思いますが、
個人のレベルでも「国」の境目がぼやけてきたのだと、
その時つくづく感じたのでした。
それから以後わたしはいつも頭の後ろの方で、
「国」がなくなる傾向がたしかなものかどうか、いつも気にしながら世界のニュース、
国内のニュースを見てきたような気がします。
そしてきょうの大新聞の記事・・・ わたしはこれが「国の終わりの始まり」を
告げる雄鶏の声であることを祈ります。
(世の中に「国」と「宗教」がなければ戦争は半分に減るのではないか?
どちらも支配者が被支配者を戦争に駆り立てる時にのよい口実になってきた。)
残っていいのは「くに」だけではないでしょうか?
ふるさと、という意味の「くに」はなくなりようがありません。
おっとここから先は非常に長い議論になるので、きょうはここまで。
いくら探しても見つからないのですが、スコットランドの首都エジンバラの図書館に
本で作ったsculpturesが現れた、という記事を書きました。
その続報です。
いいなあ、こういう遊び!
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