1日前に次の記事を書きましたが、アトムさんの記事をいろいろ読み間違えていた
ようです・・・ 嗚呼!
どう読み間違えていたかというと、「寝かせて」おいて、再読したら読めました、
というのは、昔のことだったそうです。わたしは我田引水のはやとちりで、
最近読み直したら読めたのかと勘違いして、「停滞=中断=寝かせる=熟成」
というテーマに強引に寄せてしまったのでした。
で、そのテーマ自体はわたしには大事なので、記事全体はそのままにして
おき、アトムさんは新たに「マッサラな広大な大地」に気がついたほかの例を
きのう、きょうと記事にしているので、そちらへのリンクを貼っておきます!
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アトムさんにはときどき登場していただいていますが、今回ちょうどわたしの頭の中で
「停滞=中断=寝かせる=熟成」というような言葉がぐるぐるしていたときに、
ぴったりの話題をブログで見つけて、いただいてきました。
アトムさん、ありがとー!
アトムさんのブログの横幅とこのブログの横幅がちがうので、多少整形しています。
元の体裁で読みたい人、アトムさんの文章のリズムとメロディーをもっと楽しみたい
方は元の記事へどうぞ!
なお、横幅の違いから、いつもの引用の形式はとっていません。
「続きを読む」をクリックすると、そこからは全部アトムさんの文章です。
「寝かせておきました」というところ、「マッサラな広大な大地」が開けたというところに
ご注目あれ!
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思い出した衝撃
2002年って、日韓でワールドカップがあった年よね。
そして私が多読を始めた年でもあります。
そうだよ、ワールドカップをやっている最中に多読を始めたんだよ。でさ、その年にベッカムの自伝が発売されたよね、赤い表紙の。
ワールドカップを見て私も
「ベッカム様~(ハート)」
だったので、その本を買おうか真剣に考えていたのですよ。で、そのとき、ふと気付いた。
ベッカムって英国人じゃん
↓
ってことはこの本はもともと英語で書いてあるんじゃないの
(よくそこに気付いた)
↓
で、私は多読を始めたね?
(始めたばかりで前途洋々)
↓
ってことは、本物(原書のこと)が読めるんじゃないの、そのうち
(翻訳が偽モノといっているわけではないよ)今でこそ「原書で読む」というのは普通に考えることだけれど、
ベッカムの本を買おうか、と最初に思ったときは、
本は日本語で書かれているものであり、そんなの呼吸をするのと同じくらい
当然 だったのよワタクシの頭の中。だからそのとき「英語で書かれてるよ?」と思った いや、ひらめいたのは、
コペルニクス的発想よ。
いや、マジで。 (ちょっと大げさか)
イナズマがビビビビってなった感じ。 (なんだこの幼稚な表現は。 あ、いつものことだった)本は日本語で読むという選択肢しかないわけだからさ、物心ついてからそのときまで。
選択肢も何も、他にも言語がある、ってことが意識にないっていうか。だからあれだよね、多読を始めたといっても、
まだ本当にわかってなかったってことだよね「英語でも本が読める」ってことに。
昨日、
「英語のまま読めるじゃん?」というその時のひらめきで受けた
「おお!」
という衝撃を思い出したのでした。あれですよ、
目の前に、突然ドカンとマッサラな広大な大地が広がった感じ。
あー、なんていうか、未知の世界の広がりが見えたというか。
ここでやっと「英語で本が読めるんだ」ってことが本当にわかったというか。その後、もちろんベッカム本は原書を買いましたよ。
買ってすぐは読めなかったですけれど(私のレベルが低すぎたから)、
しばらく寝かせてから読みましたよー
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