さて、報告の第1章です。
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例によって、わたしの意見が邪魔な場合は、引用部分だけお読みなることを勧めます。
1章 絵本しかない!
受験英語界にもパラダイムシフトが起きている(を起こした?)。従来の学習法から多読へ。鍵を握るのは絵本である。
これは言い過ぎのように思えますね。
受験英語界にパラダイム・シフトが起きるのは(起きるとしても)これからですね。
ただし、これから起きるパラダイム・シフトは大きいですよ。
たとえば辞書は引かない(あるいは「捨てるために引く!)、
絵本を大量に読む、いままで受験に関係ないと思われてきた(わたしも
関係ないと思っていた)シャドーイングを採り入れる・・・
それで、英語の受験準備はすっかり変わります。
まちがいなく時間も大幅に節約できて、ほかの科目とくに弱点の科目に多くの時間を
割けるようになるでしょう。
(さらにわたしが4月からの受験支援でめざしたい方向は、予備校はもちろん、
支援者もなし、もちろん辞書も参考書もなしにできる自律的受験準備です。)
以下に出てくるピンク、赤、オレンジ、黄色、緑については 快読100万語!ペーパーバックへの道
(ちくま学芸文庫)<http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480087044?ie=UTF8&tag=kyoto.y-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4480087044>を参照
文字なしの絵本から
先に書いた通り7月の初めから週1回、電通大に通った。まずさかい先生が薦めたのはORTである。それも文字なしの絵本。
ページをめくる・・・が、字がない・・・。
これが初めに本を手にしたとき感じたことだ。文字がなくてはそもそも英語じゃない、子どもではないのだからいくらなんでも文字は必要だろう、と思ったのを覚えている。非常に衝撃的だった。しかし、文字なし絵本から始めることが多読を始めることであると、帰りの電車の中で早くも気づくのだが・・・。
気づくのが早い!
それにしても、すでにペーパーバックを10冊も読んでいる浪人中のそふぃさんに、
よくもまあ文字なし絵本を薦めたものですね、わたしは!
いま考えると、ずいぶん思い切ったことをしたものだと冷や汗です・・・
そふぃさんがそういうとんでもない助言をどう吸収したか、少しあとに出てきます。
この後ORTはStage7まで読んだ。Stage3,4ぐらいまでは絵に重点をおいていた。ある時、ORTの絵はどのぐらい見ているのかと聞かれ、絵:文字が9:1だと答えたことがある。それぐらい絵に注目していた。
この9:1というのはすばらしいですね。
登場人物を把握する→その子たちがなにをしているか観察する→と同時に色使いを楽しむ→背景にも目を向ける→すると、ここまで凝っているのか、これはいつものアレだな、と思う。ここまでしたあとに、文章を読む。時にはセリフを予想して当たったこともあった。
(予想して当たるとだれでもうれしい!)
小さい子どもがどういう風に絵本を楽しむのかな?と考えてみる。いま書いたことを明確に意識はしていないだろが、ほぼ同じ読み方をしているのではないだろうか。
絵本と入試問題
最初にも書いたように難しい本が読めるようになるというのは、分からない所をとばせるようになるということでもある。しかし、受験のためには短期間で必要十分なチカラを身に付けなければならない。まして、多読歴が短ければ短いほど、なおさらのことである。
では、どうすれば受験に必要なチカラが多読で身に付くのか。本稿では、ぼくのように多読歴がほとんどなかった人をモデルにするが、多読歴が長い人でも過去問の解き方や多読に対する姿勢は全く同じと考えていいだろう。
字のない絵本から多読をしてきた人はそのまま多読を続けて、
その一方で過去問ですね。
難しい本が読めない人は簡単な本から始めるしかないが、ぼくのように難しい本が読めてしまった人でも、受験準備としてはピンク~黄色レベルの本を重点的に読む方がよい。なぜか。受験においては背伸びして難しい本を読み、分からない所をとばしまくることに意味が無いからである(少し乱暴だが、詳細は3章で)。
さらに、難しい本からでは得られるものが少ない。というよりも、ピンク~黄色レベルの本で得ることが膨大にあり、受験準備期間だけでは足りないぐらいだろう。つまり、難しい本を読んでいるヒマなどないのである。これについては やさしいことばをたっぷり吸収すること 連載第二回 多読的精読篇 を参照するのがよい。
こういう常識外れな点が多読的受験準備の愉快なところですね。
そしてそふぃさんの逆説的表現もおもしろいと思いました。いわく・・・
難しい本を読んでいるヒマなどないのである。
念のために書いておくことがある。本稿を通して言えることであるが、本来の多読と受験の道具としての多読は違う点もあるということは注意しておいて欲しい。
別の言い方をすれば、ピンク~黄色レベルの本にこそ学校英語を洗い流すべき要素が詰まっている、英語の土台がある。この点については
さよなら英文法! 多読が育てる英語力 (ちくま学芸文庫) (特に第7章)
やさしいことばをたっぷり吸収すること 連載第二回 多読的精読篇 (再掲)
を読めば分かるだろう(分かって欲しい)。勘の良い人なら、多読しかないとすぐに気づくはずである。
「勘の良い人」は波紋を呼ぶ可能性があるので、わたし自身は「運が良ければ」と言い換え
たいところです・・・ あるいは味気ないけど「人によっては」かな?
ところで、多読はどんな人でもゼロから始めることに特徴がある。初めからピンク~黄色レベルの本をたくさん読まずしてペーパーバックばかり読んでいては、やや過言だが、もはや多読ではないのである(それぐらいの気持ちを持つのがよい)。
わたしはみなさんに背中を押されてこの10年間、次第にカゲキになってきましたからね。そふぃさんの言うとおりだと考えています。
おなじ100万語でも、10万語のペーパーバック10冊と、1000語の絵本1000冊では
まるきり「栄養」がちがいます。
その意味では多読村の多読は語数よりも冊数かもしれません。
また、レベル分けも、上げるためでにあるのではなく、下がるためかもしれません。
(なお、やさしいことばは実生活や映画、ドラマでも吸収できることをお忘れなく!)
電通大に通い始め、家では主に黄色レベルの本を読むようにさかい先生に言われた(電通大ではもちろん絵本)。しかし、初めの2週間ぐらいあるギモンを抱いていた。
黄色レベルの本と入試問題との差を埋める本を読まなければならないのではないか。
このギモンが解消されるまで、家では Inkheart Inkspell を並行して読み続けた。しかしそれ以降はペーパーバックを読むことは(受験期にかぎっては)なかった。
では、なぜ黄色レベルの本と入試問題の橋架けが不必要であること、つまり、絵本と黄色レベルの本で入試に対応できることに気づいたのか。そう、難しい本を読んでいる場合ではないことが分かったからである。
この点は今後必死で説明しないと、ほとんどの人にわかってもらえませんね。
わたしもがんばりますが、そふぃさんの説明に期待します。
もう一歩踏み込んで説明しよう。この一連のことが頭に浮かんだのは、5月31日に受けた第1回駿台全国模試が7月の半ばに返却され、解き直した時である。読解問題の文章を見てみると、ORTを含む絵本で読んだアレではないか、というのが数ヶ所あった。単語帳で覚えた単語に遭遇するのとはワケが違う。多読で身に付けた語句は鮮明なイメージとともに文章が浮かび上がるのだ(関連リンク:やさしいことばをたくさん吸収すること 番外編)。この経験を機に、ぼくはピンク~黄色レベルの本をたくさん読んでいれば入試に通用するという確信を持ったのだった。
上の関連リンクをぜひ読んでください。
そふぃさんが「やさしいことばの大切さ」を実感した瞬間の実況中継になっています。
(またこの記事は、わたしが「字のない絵本」をすすめたことを、
8月の終わりころまでは覚えていたことがわかる貴重な資料になっています!)
絵本を読みまくる
絵本の大切さに気づいてからは家に絵本も持ち帰り、週に10冊ぐらい読んだ。そして12月の終わりまでこの調子を保った。受験生であれば絵本は1日に最低1冊は読みたい。言うまでもなく、栄養たっぷりだからである。
ぼくは絵本1冊読むのに10~15分(短いものは5分程度)かけてじっくりと読んだ。先にも書いたように、絵本で重要なのは絵であり文字ではない。よって、絵本を流し読みするようでは効果が半減するどころか期待できない。
こういう点を最近まで、わたしは見落としていたような気がします・・・
(最近って、4、5年前まで)
ピンク、赤、オレンジレベルぐらいをたくさん読み、
on ってこんな感じなんだあ~。
go とか give って自分の知っていることよりはるかに広い意味があるんだあ~。
とかいう経験を多く積むとよい。英語がカラダに染み込んでくる気分を味わえるだろう。この感覚がたまらない。
絵本が生きる場所
黄色レベルになると、文字に対して絵の量がだいぶ減ってくる。今までのギロンから考えれば、黄色レベルの重要性はピンク、赤、オレンジに比べて劣るのではないかと思う人もいるかも知れない。しかしそんなことはない。むしろ逆である。黄色レベルの本をたくさん読んでこそ、ピンク、赤、オレンジで身に付けたことが生きるのである。
というよりも、黄色レベルの本でピンク、赤、オレンジの本での体験を生かせ、入試に対応できるというのが本稿の一番のミソであり、今回の成果である。
おー、これはいままで聞いたことのない感想ですね!
では、緑はダメなのか?この問いに対する答えは容易である。まず、黄色レベルで入試に対応できるのならそれより上のレベルの本を読む必要がなくなる。また、より簡単な本を読んだ方が飛ばすところが少なくなり、短時間でたくさんの文章を吸収できる(3章でもう一度書く)。
ぼくの場合はアインシュタインの相対性理論に興味があったので、読みたい気持ちを押えきれず
The Time and Space of Uncle Albert
は緑レベルであっても手を出したこともあった。
緑より黄色を読んだ方がいい。それは今までのギロンから分かるだろう。ただし、楽しんで読めて読書スピードが落ちないのであれば、緑も読んでいいのではないか。けれども、原則は黄色以下である。重要な点なので、少し視点を変えて3章でもう一度取り上げる。
3章を楽しみにしましょう。
ここで少し実戦的な話をしておこう。ぼくのようにやさしい本を全く読んでいなかった人は夏休みの終わりまではORTをじっくり読むなど、やさしい本に特に重点をおくのがよい。これが9月以降過去問を解いていく際の土台となる。詳しくは後半に書く。
―絵は果実であり、文字は種である
ORTを読み始めたとき、さかい先生はぼくに 絵は果実であり、文字は種である と言った。確かに、このギロンは子どもや受験には関係のない人たちには通用するかもしれない。けれども、基礎的な英語力を身に付けようとする受験生には文字こそが大切であるのであって、絵は補助的なものに過ぎないと思っていた。したがって、受験生にとってこの言葉は的外れだと感じた。だが、幸いにも数時間後に自分のこの判断が誤っていると気づく。
上に出てきた「大学から帰る電車の中で気づいたこと」ですね。
先に文字なし絵本のから始めることが多読を始めることだと書いた。つまり、やや飛躍があるかもしれないが、多読とは物語に浸ることと言い換えることができるのである。そのためには文字などあってもなくても全く問題にならないのではないか。ここが、多読が英語学習であって英語学習でない点なのであろう。
その通りですね。
そこからまたしても禅問答のような「多読のパラドックス」が生まれる。
すなわち
ことばを吸収するのにことばを吸収してはならぬ。
ものがたりを吸収するのじゃ
第2章がいよいよ楽しみになってきました。
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