ブログの種がたまっております。
一方で村の大改造がまもなく公開の運びで(並の苦労ではないようであります)、
そちらのこともいろいろありまして、これからもたまる予感があります。
そこで、とても記事にしやすくして送ってくださった「パピイ」さんのメールをまずは
ご紹介・・・
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なにしろ「爆弾発言」のパピイさんですから、今回のメールもひょっとすると
なんらかの誤解を呼ぶ可能性はなしとしません。
けれどもうまくいけば、パピイさんが書いているように多読仲間のどなたかが
「趣味の多読を窮める」一歩を踏み出すための道をつけることになるはずです。
酒井先生、こんにちは。
「PBは、ディテール読みが面白い」の原稿をお送りします。
これも誰かの背中を押して、「趣味の多読を窮める」のひとつにつながればと思います。*********************************
多読って、飛ばして読むもの、PBを読むなら「第一章は読まなくて良い」などと、(読みもしないで)飛ばすことによって、PBが読める(ストーリーが追える)と言われていますが、PBが普通に読めるようになったたくさんの人たちと、そろそろ次のステップの話でもしましょうよという話題です。
ありがとうございます。
まさにそれが「蹴りたい背中」シリーズの記事のもくろみです。
私が言う「ディテール読み」とは、飛ばさずに読むだけではありません。多読的精読の例として登場した、「やさしい語が使われた短い文がやさしいというわけではない」という例文が、「こんなやさしい文に、先生の長々とした説明なんて不要です」という程度には、読もうよということです。
別の言い方をすると、「ネイティブが感じながら読んでいるように読もうよ」と言い換えてもいいでしょうね。もちろん、読書は人それぞれで、和書でも流して読む自分には関係ないよという方もいらっしゃるでしょうけれど、その人が和書を読む場合でも、先生の説明など不要程度にはお読みのことと想像します。
長い、むずかしい語をおもに拾って読むことに飽き足らない人もいるかもしれません。
その場合には「流して」読めばいいですね。「Julie」さんのブログにある「ざくざく読む」
本と「濃く読む」本のちがいでしょう。
私が主に読んでいるロマンスPBは、基本的には「男女が出会って、いろいろ障害を越えて、最後はハッピーエンド」というストーリーになっています。ですからストーリーがわかるだけでは、全米で出版されるPBの約半分がロマンスという米国を代表する文化(笑)を味わうことや楽しむことが十分できません。
字面に隠されたの裏(本当)の意味というか、行間を読むと言えばいいのかわかりませんが、登場人物の内面・心情を読んだり、その場の張り詰めたあるいは不穏な空気を感じ取ったりするなどして、物語を深ーく味わい、楽しむのです。これまで書いていて思うのですが、普通小説を読むってこういうことですよね。
機微というんでしょうか? あわい? 陰翳? ゆらぎ? 色合い?
ところで、どうすればそういう風に読めるようになるのって話ですが、先生は
〉「やさしい」語だけで文になっているような絵本や本や、映画や、毎日の会話にたっぷり触れること
と言われていますが、それだけではないと思います。先生は、こうも言われています。
〉「やさしい文」にたくさん触れなければいけないということ
例の爆弾宣言の相談をした時、「PBの中にも、やさしい表現はたくさん出てくるから、PBだけ読んでいても大丈夫なはず」的なことを言われました。私をそれを信じて、PBを20数冊読み続けていますが、今ではPBだけ読んでいても大丈夫と感じています。当時は難しい「内容語」に振り回されていることにいらついていた感がありましたが、その後はやさしい文を丹念に追っていくことで、読解力は上がっていくように感じていますし、例の13語で書かれた文が「劇的な転換点」なんて簡単にわかっちゃいましたからね。ですから、例の爆弾宣言のブログに、『その後当人は、「PBばかり読んでいても英語力は上がる」と改心した』とでも追記しておいてください。当然『「内容語」だけつまみ食いして、ストーリーがわかるという読み方はだめ』という条件付きですけど。
とんでもない爆弾発言を根っこからひっくり返す爆弾発言・・・
ところで、「プロってだれ?」のような話題もありますよね。掲示板の投稿や、ブログを読んでいて感じるのですが、多読って、いわゆる英語学習で習得したプロをしのぐ、素人を作る可能性をもっているのではないでしょうか。
その通りです!!!!!!!
tadokuで「英語のプロ」をしのぐことは可能だし、すでにしのいでいますよ。
(ああ、ここは翻訳家の山岡洋一さんとの論争に関わる大事なところですが
こんばんは書いている時間がありませぬ・・・)
多聴、おしゃべり、ライティングと、tadokuは広がってきていますが、多読だって、まだまだ行きつくところまで行きついていないとも感じています。
その通りです。
多読・tadoku の可能性はいまのところ無限です、まだ行き着く先が見えていない
から。どれほどとんでもないことになるか、楽しみにしていてください。
ではね、あした深大寺蕎麦オフと多読的おしゃべり会です!
おやすみ、グー・・・
追伸
いろいろな催しが東京に偏っていることを非常に悔いております。
できるだけ早く、世界中どこにいても村の行事に加われるようにと考えているので、
もう少しお待ちください・・・!
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