ふと思ったのですが、世の中はやはり流される人々と、
(そんなには)流されない人々がいて、
流される人々は、とにかく世の中の流れに沿おう、従おうとする。
そこからいつも回りを気にして、同じように振る舞おうとする。
その上土地バブルの崩壊後、その人たちはすっかり自信をなくしていよいよ
回りが気になる、合わせたくなる・・・
そこでマニュアル大流行というわけです。
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こんなことを書き始めたのは、いま新聞を見たら、プレジデント社という本屋が出して
いる dancyu (なんのこっっちゃ?)という雑誌の広告に大きくこう書いてあったのです。
「なぜ、日本人はカレーが大好きなんだろう?
カレーの学校。 」
学校も、教科書も、参考書も、みんな一度通った道なのにねえ。
それでどれほど身につかなかったか--そういう話で大笑いなわけでしょ・・・
酒の席では。
それなのに、なにか「がんばらなきゃ」ということになると、
(TOEICとか、資格試験とか、昇任試験とか)
自分に自信がないものだから、参考書、問題集、教科書、果ては解説本に頼る。
カレーの作り方まで「学校」なわけだ・・・ ちょっと前のはやり言葉で言うと、
どんだけー?!
ってやつだな。カレーの作り方を「学ぶ」ために、学校?????
どこまでだれかの言うことに従いたいのか?
カレーなんて、自分で勝手に作って、いろいろやって、たくさん失敗して、
だれもがびっくりするような作り方にたどり着いたっていいじゃないか!
それがどうだ、近頃の「おとな」は!
柔らかい全体主義にすっかり取り込まれて、いい歳になったってのに問題集を
「シコシコ」はじめる・・・
(上の宣伝文句、「日本人は」と始めるあたりが「柔らかい全体主義」の真骨頂だな)
おー、「カレーの学校」からいろいろ話題を思いついたぞ・・・
これはシリーズ化だな。 宣伝をいろいろ集めてみよう。
いかに「わたしたち日本人」はだまされやすいか、取り込まれやすいか、我を失いやすいか?そのへんが如実に顕れてくるのではあるまいか?
おっと、でもね、多読とまったく関係ないわけじゃない。
多読三原則は結局 楽しいことだけやろう! という宣言なのだな。
つまり、他人に合わせることはないんだよ、自分勝手に自己中心的に外国語を
楽しめばいい、と言い切ったんだ。
(ただし、このスローガンにも問題があって、「楽しい」という言葉が曲者なのだな。
参考書を読むこと、問題集を「まわす」こと、試験に合格すること、
そのために「継続は力なり」なんぞというスローガンに惑わされて、
「苦しい」のに「楽しい」、「苦しい」からこそ「身につく」
と 思 わ さ れ て い る 場合が ひじょーにおーいとおもー。
そのへんもしっかり心に留めておこう。 )
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