NPO多言語多読の多読フォーラムで、侃々諤々、非常に熱気を帯びた議論になり、
ついにはわたしが行き過ぎた投稿をして、ガイドラインに抵触するのではないか
という提議がありました。
ここはわたし個人のブログなので、フォーラムからは距離がありますが、
その「距離」にふさわしいメールを「ひまわり」さんからいただきました。
こういう視点は貴重だと思って、みなさんにも読んでもらうことにしました・・・
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「語数より冊数」が、議論になっているのですね。
その表現が、多読の入り口を狭くしてしまうと。
なるほど。わたしは「語数より冊数」のはなしを聞いて思うのは、「多読をめぐる環境が、こんなにも変化したのだなあ」というひとことです。
ひまわりさんについて紹介を一言・・・
ひまわりさんが以下のような視点を持っているのは、わたしの「多読」の原型を
知っているからです。約30年前、一橋大学で始めた「英語のシャワー」という
名前の授業を取っていたのです。当時はまだ「多読」とは呼んでいなかった。
“スローガン”の移り変わりは、多読がたどってきた歴史の流れと、共にあるのだなあ、と、思うのです。
そして、多読の歴史のどの過程でその人が多読に出会うか(つまりどのスローガンが前面に掲げられている段階でその人が多読に出会うか)、
また、その出会いにおいて、多読がその人の心をつかむかどうか(スローガンが人の心をつかむための戦略兵器(?)の一つなのだとすれば、その時代の多読において前面に掲げられたスローガンが、その人の心と相性のよいものであるかどうか)は、時の運、みたいなものも、あるのかも、しれませんね。
(もっとも、今回の「語数より冊数」は、スローガンとしてはすでに取り下げられているようですが)
その通りですね。まったく同感です。
(ついでに言えば、スローガンとしては提案直後にMIKIさんの意見を聞いて
取り下げましたが、そのあたりの「歴史」の理解も冷静ですね、ひまわりさん。)
多読初期のスローガンは“冊数よりもページ数”でした。それは、文字の多い分厚い本が英語読書の主流という環境のなかで、軽い気持ちで滞ることなく、シャワーを浴びるように、たくさんの英語にふれるためには、滞りそうになったらいつでも本を投げられるよう背中を押してくれる魔法の言葉、“冊数よりページ数”が、必要だったのですね。
そうでした!
なんでそんな大切なことをすっかり忘れていたのだろう?
英語のシャワー時代のスローガンは ページ数 に力点があり、それは途中で
止めても読了ページ数は増えるからだった・・・
そうでした、そうでした・・・
本をほとんど終わりまで読んだことがない、という読書コンプレックスを持つわたしが、そのスローガンに出会った。それで、わたしは多読にはまりました。多読もわたしにはまってくれた。いい出会いでした。
“冊数より語数”はSSS時代の多読の歩みと、共にありましたね。わたしは、長いブランクのあと“冊数より語数”を全面に掲げるあの多読に出会って、「多読もずいぶん科学的になったもんだなあ」と、おどろいたものでした。
そして、この「語数」と、「YL」というだれでもが計ることのできるらしい客観的(にみえる)指標を用いるようになったことで、ネットで得た「多読仲間」とも、共通の土台の上で、多読についてアドバイスしあったり語り合ったりしながら、滞ることなく楽しくワイワイと多読を続けていくことができる。
すごい仕組みをつくったものだなあと、その発展と進歩に、驚き、感心したものでした。そして、その後も、多読の環境(本や音や映像という素材をめぐる環境も、「多読」という言葉をとりまく環境も、その他いろいろ)は、さらにさらに変化した。
変化に伴って弊害も出てきた。
その弊害を、少しでも回避するために、今度は有効なスローガンになり得るものとして、(今ではスローガンではありませんが)、“語数より冊数”があらわれ、前面に掲げられようとした。
今回は、多読を、tadokuへと進化させ、絵を味わう、映像や音声の展開される空間を味わう、そういうことのもつたいせつさが伝わるようにと、そういう意図での“スローガン”だった、と。“冊数よりページ数”、“冊数より語数”、“語数より冊数”、どの魔法の言葉も多読の環境の到達している歴史段階よりも、少し先を、行くのですよね。
ここから先に続く多読の流れに、必要なものとして。
そう思います。「魔法の言葉」かどうかは別として、スローガンはひまわりさんが
喝破しているようにその時その時に、
「ここまで来たのだから、次の一歩はこちら」
という道標、あるいは beacon、先導役だったのでしょうね。そして
「(スローガンは)多読の環境の到達している歴史段階よりも、少し先を、行く」
というひまわりさんの言葉は、わたしにとってパッと来し方行く末を照らす
灯りでした。
わたしにとっては、“冊数よりページ数”が、何よりよく効く魔法の言葉ですけどね、“冊数より語数”という言葉がよく効く人も、“語数より冊数”という言葉を処方されることが必要な人も、いろいろ、いるのだろうなあ、と、思います。どのスローガンも、だれかの大切なお薬(困ったときに背中を押す言葉)になる。
(うーん、こういう冷静な視点がわたしに染みこんでいればあれば、
フォーラムを混乱させることはなかったかもしれない・・・)
だから、どれも否定しないし、どれもありで、ほかにももっとあっても、もちろん大歓迎なんだけど、でも、今、多読の歴史が、必要としている言葉は、“語数より冊数”ってことなんだろうねえ…
と、わたしにとっては、あまり関係ないことですが(すみません)、読んでいて、そんなこと、思いました。
いやいや、ひまわりさん、「語数より冊数」は捨てたのです。
「語数より冊数」で言いたかったことは今後「語数だけを頼りにしてはいけない!」
というような砕いた言い方に変えます。(迫力に欠けるけど)
もう一度・・・
このひまわりさんのメールで、わたしは自分を多読の歴史の流れに置くことが
できました。
わたしはみなさんがこれまで成し遂げてきたことを真実すごいと思うし、
(それは繰り返し賛嘆の声を上げて表明してきました)
こんなにすごい人たちは見たことがないと思っているけれども、
やっぱりわたしはたくさんのみなさんを見てきたのだから
(見せてもらってきたのだから)、ここから先を照らす光を見つけて、
それをみなさんに解釈してみせなければいけないと思う。
みなさんのすごさは、一面「多読三原則、やさしい絵本」という
せまい入り口を颯爽と通り抜けて広い世界に出た--そのことにあるのだから。
ひまわりさん、ほんとにありがとう!
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