10月6日に英語tadokuクラブ@世田谷の主催で、「安全な親子多読」について
講演をしました。
(「安全な」というところに早速反応した人がいました。そうです。
英語子育てには「安全な場合」と「危険な場合」があるようなのです。
うまく行けば、安全な親子多読講演のビデオを公開します。)
今までは親子多読の成果について不特定多数を相手に書くことはありません
でした。保護者を煽りたくなかったからです。
小学校低学年から英語が必修になる方向が出てきたので、
これはもう言わざるを得ないと思います。
でもその前に、各務原市でわたしの意見を聞いた「みぃみぃ」さんのブログを引用します。
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6月16日の講演会では、親子で参加した人たちがかなりいらっしゃったので、
多読と児童英語について、少しだけ話をしました。みぃみぃさんはそれを
聞いてくださったのでした。
6月16日(土)に岐阜の各務原市立中央図書館で行われた酒井先生の講演会に参加してきました。
久しぶりに会う東海地方の多読仲間たちとランチして、本の話などいろいろ楽しい時間を過ごしてきました。今回、酒井先生が講演の中で、「多読と児童英語」についてお話されたのがとても印象に残っていたのでそれについて少し。
酒井先生が、「こどもたちは、自分が親に気に入られないと生活していけないということと、ずっと親がかりでは逆にこの先を生きていけない、ということがわかっていて、常にこの二つの間で大きく揺れている」ということをおっしゃっていました。
私 を育ててくれた祖母は、「親の言うことをずっと素直に聞いていたら、こどもは親までにしかならない。だからこどもは反発して、親より上を目指していくん だろう。」と言ってました。中学生になって(祖母は私が中三の冬に亡くなりました)、頻繁に口答えをしたり反発したりしていた頃に言われたことです。
わたしはみぃみぃさんのおばあさんに賛成ですね。
親 の指示に従うことによって命の危険を避ける、親の期待に応えることで自分の欲しいものを手に入れる(ご褒美なども含めて)、ということと、親の意見に逆 らってでも自分の求めるものを追求する、多少の危険を伴うものでも挑戦していく、そしてそこから成長していく、ということなのでしょうか。
そう思います。親から離れようとする事自体が子どもにとっては大きな冒険のはず。
その冒険をしないでいると、大人になっても自分の足で立てなくなる。
自分の行く道を見定められなくなる--どうもそういうことのようです。
だからこどもに習い事をさせるのは難しいんです。親の期待に応えようと、本当は本人が望んでいないことを一生懸命やっている可能性があるから。そして、それはとっても見極めることが難しいから。こども本人ですら気づいていないことがあるから。
親ってのはこれまた面倒な仕事です。児童英語の講師をしていて時々、「自分が英語で苦労した(又はしている)から、こどもに同じ苦労をさせたくない」という理由でお子さんに英語を習わせようとする方がいらっしゃいます。
これも親心です、否定はしません。でも、こどもさんはのんびり遊ばせておいて、自分の英語力を何とかする方向に行ったほうが現実的かな~と思ったりもします。実は。小さいうちは時間もあるし、いろんな経験をするのはいいことだと思います。今はいろんな習い事があるし。どれが向いているかって、なかなかわからないですからね。
で も、あるタイミングでこどもの様子を見て、「すぱっとやめる勇気」っていうのも必要だと思います。習い事ばかりで遊ぶ時間もないとか、親が送迎に時間を取 られて大変だとか、どこかに不都合が生じたら、どんどん見直していかないとそのうち大きな歪みになるような気がするんです。
「小さい頃からやっておいたほうがいい」って確かにそうかもしれませんが、そうじゃないかもしれないですから。
上の部分は4段落はご自分の子育てから言葉を紡いでいると思います。
そういう迫力があるとわたしには思われます。
親という「面倒な仕事」の矛盾を語って、余すところがありません。
みぃみぃさんの記事はここです。
あ、一つだけ各務原では言わなかったけれど、世田谷では言ったことを
付け加えておきます。
「面倒な仕事」を断ち切って、安心できる方法が一つだけあると、
わたしは思うのです。それは、親は親の生活を送ること--子育ては
親が自分の生活をしていく上で、ついでにやる仕事--そういう風になれば
親にも子どもにも一緒に生きていくことが負担にならないのだと思います。
(ところがここでやっぱり面倒なのは、わたしは子どもなしで成り立つ
「自分の生活」をちゃんと持っているだろうか? という疑問から
逃れられないことですね。ふぅ・・・)
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