学校英語批判 「発音」について


「発音」という言葉もよくないと思いますが、一つ一つの「音」に注目することは
もっと悪影響があると思います。

学校の「発音」指導はどうなのか? 先週広島で見た(聞いた)驚くべき例を
紹介します・・・ 

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「言葉」はまだその仕組みが解明されていません。

そこで、細部にこだわることは尚早です。
細部にこだわればこだわるほど、全体は見えなくなり、迷路に惑うことに・・・ 

(ここは飛躍しているように見えるでしょうが)

したがって、言葉については「細部」にこだわることは、無駄な堂々巡りになる
可能性が高くなります。 単語を覚える、文法を覚える、「発音」にこだわる--
どれもきわめて非生産的な、 実りの乏しい作業です。
言葉の仕組みが解明されていない今できることは、できるだけ言葉を
分解せずに、丸のまま、場面や表情や気持ちと共に体に入れることだけです。 

音について言えば「発音」という細部にこだわることは非常に害があります。
その典型的な例を「natubon」さんの娘さんが実証してくれました。

natubonさんの娘さんは中学3年生。a window と 窓 の開け方で
違うジェスチャーをした人です。

この娘さんの英語の音がすばらしかった・・・!
あんなにくっきりした英語の音は聞いたことがありません。
たとえば M の音、B の音のくちびるの合わせ方は、
今まで聞いた、見た日本人に一人もいなかった。 

何度も確かめたのですが、CDで朗読を聞いていただけのようです。
(もっと
少しくわしくnatubonさんにこれまでを聞く必要がありますね。 )

で、わたしと一緒に娘さんの音を聞いた I さんは、「シャドーイングの鬼」で、
多読はしたことがないという人です。(これから始めるとのこと。電通大で
わたしの授業を受
けていた頃から、「多読は捨て」「ていたそうです。)

それで、シャドーイングについての I さんの洞察はすごいものがあるの
ですが、I さんは「わたしは到底及ばない」と「シャッポを脱ぎ」ました。

そのすばらしい音で、何度も何度も楽しんだという Dr. Seuss の絵本を
二つ朗読してくれたのですが、ただ1点、おや? と思ったのは、
TH の出てくるたびに舌の先が歯の前に出すぎるのです。

聞いてみると、英語の先生がそうやるように教えたとのこと。 

・・・やっぱり・・・

学校も、教科書も、先生も、辞書も、問題集も、試験も、
「多読っ子」にはかないません。

(かなうこともありますが、それは多読・tadokuと一緒に細部を
教えてしまった場合・・・!) 

そういう子は自然な英語をきわめて自然な形で吸収していているので、 
細部にこだわる必要はないのです。
学校の先生が何か言えるようなものではない。言えば邪魔するだけです。 

近いうちにnatubonさんが娘さんの朗読を録音して送ってくれます。
そうしたら、また多読っ子の音の話をしましょう。 

追補
natubonさんと娘さんの付き合い方にも関心があります。
どうやって、娘さんの自然な吸収を 邪魔をしないこと ができたのか?
それは少しずつ様子を聞きます。