前半は facebook のNPO多言語多読ページを読んでください。
5月10日の講座で特に感じたことを付け加えます。
(facebookには字数制限があるので・・・)
多読はいわゆる「上級者」(いやな言葉です)にどういう手助けができるのか?
**********************************
多読支援は東中野でもどこでも一人一人の多読・tadokuを手伝うので、小学5年生で英語ははじめてという子の横に、おそらく英検1級、TOEIC900点以上だろうという人が座っています。
多読支援の対象はこれまでは「ゼロから始める人」 あるいは 「ゼロに近いところから始める人」に意識と注意が向けられていたと思います。上の例で言えば、小学5年生や英語から遠ざかって時間の経つ中高年の人たち、でしょうか。
けれども、NPOの多読講座ではこれまでにない幅広い人たちを支援するので、「相当な蓄積のある人」にどう手助けするか、という新しい課題が見えてきました。たとえば金曜日のAさんなどはその典型です。
Aさんはずいぶん昔からの知人で、わたしの勝手な憶測ではおそらく「英語学習」に相当なお金をつぎ込んでいるのではないかと思われます。
それがはっきり顕れるのは「話す」時です。Aさんは話す速度もかなりのもの、言葉も豊富、英作文会話(未定義、いつか説明します)を越えた文章がどんどん出てきます。何より英語で会話する「場数」を踏んでいるということが手に取るようにわかります。
書くのもたいしたもの! かなり複雑な内容を非常に長い文章で綴ることができます。言葉も表現も豊富。けれども、これも未定義ですが、書く文章にリズムが出ていない、そしてそのことと当然関係がありますが、意味の大きさとその意味を表現する部分の長さがちぐはぐな感じらあります。概して一文が長い傾向があります。(そしておそらく書くときに非常に時間がかかっている。)
書くのと話すのは、通常の(?)英語学校では最高レベルで、もう適切なコースがないのではないか、というくらいです。英語国についての知識や経験もかなりあります。
その一方で、「読む、聞く」は「話す、書く」に追いついていません。
たとえば「聞く」では、海外ドラマを英語字幕で観ている!
「読む」では、ペーパーバックに何度も挑戦しているけれども、常に途中まで!
この記事のここまでは、便宜上「聞く、話す、読む、書く」の4技能分類を前提としたような書き方になっていますが、以前からわたしが繰り返しているように、4つにきれいに分かれるはずはありません。どの「能力」もほかの「能力」とつながっていて、言葉を使えるということは、基本的には「一つ」だとわたしは考えています。
としたら、Aさんのこの「バランスの悪さ」はどういうことなのか?
この話題は実は「学校英語批判ふたたび」にも通じるし、「いわゆるGRの功罪について・・・」にも通じる話題なので、今後じっくり検討しますが、ここでは簡単にわたしの今の結論を書いてしまいます。
(じっくり検討する中で、英作文会話、英作文ライティング(!)のことも定義します。)
1.Aさんの体には十分英語の蓄積がある。
2.けれども文字については学校英語の影響下にあって、正しさを追求し、リズムが欠け、「流れる」感じがない。
3.同様に音についても、学校英語の音と、「正しさ」を追求し、自然な音から離れている。
2と3について、学校英語とその考え方から自由になれば、1があるので、Aさんは非常に短い時間でペーパーバックを楽しめるようになり、お好きな海外ドラマも字幕なしではるかによく楽しめるようになり、話すのも、書くのも、次元の違う自由さを得ると予想します。
(Aさんは6カ国語劇薬シャドーイングでまったく声が出ません・・・ 一つ一つの音と、語を捉えようとして聞き入ってしまいます。これは「学校英語の考え方」の典型的な影響ですね。)
さて、NPO多言語多読の講座を通して、Aさんはいままでの英語学習で越えられなかった壁を打ち破り、空高く飛翔できるのでしょうか? みなさんの中に、多読は長くやってきて、相当な蓄積があるけれども、読むこと以外では日本語の自由さにはほど遠いという人たちに、AさんとNPOは壁を破る手立てを提案できるのでしょうか?
講座が終わったあと、遅い夕飯を共にしたとき、ある人がAさんに、字幕なしでも楽しめることを強調していました。字幕を消すことは「上級者」ほどむずかしいのかもしれません。でもNPOの講座を通して、Aさんはきっと「正しい」を吹っ切ることができるはずです。
(Aさんは、どちらかというと豪快な性格!)
学校英語を懸命に勉強してきた人も、多読で大量の英語を吸収した人も、「正しい」から解放されれば、今までの蓄積は全部プラスに変わる可能性があります。
今後の展開を手に汗握ってお待ちください!!!
最近のコメント