「語数より冊数?」という話題から逸れていると思う人がいるかもしれないので・・・
「100万語多読」という「スローガン」はわたしが言い出したのですが、
最近とみに弊害が目立つような気がするので、語数だけ追いかけるのは考え物だよ、
冊数も大事、冊数を多く読むにはやさしい絵本がいいよ、と呼びかけているのでした。
で、絵本の大切さ、基本的な言葉の重要さを確認する機会として、
やさしい絵本やaudiobook、ドラマ、映画、アニメ、実生活、仕事で使うことなどは
どれも大事だよと・・・
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natubonさんの娘さんが Oxford Reading Tree の Stage 2、Toy’s Partyの
最後を読んで、Kipper was sorry. は遊びが終わってしまって残念だと解釈した
という話を読んで、ショックを受けた「katobushi」さんからメールが届きました。
さかい先生
いきなりですが。。。
えええええええええええ!!!!!!!!!!!
sorry って辞書引いたことないですが、
「ごめんなさい」みたいなニュアンスは、I’m sory の時だけ、
特別な決まり文句だと思ってたんですが、違うんですか!?
普通は「かわいそう」みたいなことだと思ってます。。。間違ってます??Mom was cross. Kipper was sorry.
は、僕の中でも、ママに怒られて、キッパーはしゅんとしちゃった。
(落胆してる様子、まさに、もっと遊びたかったのに!という気持ち、反省や謝罪の意味合いはなし)
ですよ!?katobushi
さて、どうなんでしょうね。
katobushiさんのメールを読んではじめて sorry のことを考えはじめました。
たぶん、「ごめんなさい」 も 「かわいそう」 もいちばん核にある意味では
なさそうな気がします。日本語でいう「遺憾の意」を表す時に使うことばでしょうね。
(もうちょっと突っ込んで言うと、「何かが欠けている状況」を認めて、
「欠けていなければよかった」という気持ちを表すのかな?)
で、natubonさんの娘さんとkatobushiさんは遺憾な理由を
「遊びが足りない。もっと遊びたかった」
だと思った。
わたしやnatubonさんは
「マナーが欠けていた。お母さん、ごめんなさい」
だと思った。
・・・ということかな?
みなさん、どう思いますか?
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