NPOから本をお貸しして、さかい@多言語多読がつきに1回助言に出かける
「だれでも多読武蔵野」のメンバーからうれしいメールが来ました。
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メールをくださったBさんは、すでに英語をかなり「お勉強」していたのですが、
1昨年音12月から週1回、全6回の「三鷹ネットワーク大学」の多読講座に参加して、
「お勉強」の姿勢がガラガラと音を立てて崩れて、その後「だれでも多読武蔵野」
(中央線武蔵境1分の武蔵野プレイス3階に集まっています。くわしくは
「さかいの予定・みんなの予定」を見て下さい)に参加、このブログにもすでに
何度か出演しています。
そのBさんの最新の変化!
酒井先生
きょうは、ウィル・スミス親子のPursuit of Happinessを字幕を隠して最後まで観終えました。
先日は、Home Aloneをやはり字幕なしで観て。でも、Home Aloneはほとんどがアクションだからと思っていたのですが。
きょうのはそうじゃない。うん! もしかして、これって、多読効果?
決して一字一句を聞き取れているわけではない、というか、英語のフレーズ一言一言を反復しないで、内容に没頭していることに気が付きました。
日頃CDを聞いてヒヤリングの訓練をしているわけではないのですが、“分からないところは無かったことにする精神”が、映画鑑賞にも浸透してきたのでしょうかね。
ちょっと自慢をしてしまいました。
うれしい自慢ですね! 要するに「いい加減な聞き方」、「ノーテンキな聞き方」が
身についたのですね。まさに多読効果だと思います。
Bさんの例は典型的だと思いますが、これまで英語を「お勉強」してきた人には、
実は結構英語が貯まっていて、多読はそれを掘り起こして、自然な形に蓄積
し直して、活用する・・・どうもそういうことだと思います。
(だからといって、学校英語がよいものだとは言ってませんからね!
学校英語の「お勉強」は試験ではいい点を取れても、そのままでは
活用の方法がないわけで、かけた時間の莫大さを考えると、やはり
寄り道、避けたい道、崖へとまっしぐらの道であることは確かです。)
特にみなさんに強調したい部分は・・・
決して一字一句を聞き取れているわけではない、というか、英語のフレーズ一言一言を反復しないで、内容に没頭していることに気が付きました。
ここです! 実はこれは「多読のパラドックス」の一つだと思います。
まるで禅の公案のように「分かろうとすると分からなくなる」のですね。
細かいところまで100%理解しようとしたら、その瞬間からわたしも
内容は頭に入らなくなります。
以下の引用はわたし自身に向けた独白と思って下さい。
けれども、この点はごく少数の「エリート」にしか分からない。
あるいは、実感した人にしかわからない。それが多読の弱点。
どんなに公開の場で発言しても、発言者はまるで透明人間か何かのように、
無視されます。「普通の人々」には伝わらない。
「はは、多読ってそういうことだったのか・・・」と腑に落ちる人の少ない点でも
禅の公案に似ているかもしれない!
「だれでも多読武蔵野」には、Bさんのように多読で目から鱗が落ちて天翔り
はじめた人が何人もいます。仲間としても実に大人で、楽しくて、すばらしい場が
できていると思います。
今後各地にこういうグループができることを祈って、NPO多言語多読は今日も往く!
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