今思えば、「やさしい絵本から」という「誘い」もスローガンだったのですね。
したがって、ほとんどの人には「強制的な」響きがあったと、今にして思います。
わたしの勝手な思い込みでは「やさしい絵本」をすすめる時に、
「テレビ・ドラマも、mangaも、映画も、仕事場の会話も含めているつもりでした。
けれども、スローガンとして「やさしい絵本から」と発すると、それは
「やさしい絵本」のみを意味することになるわけです。
真意は違うところにあるので、そこを軽く説明します・・・
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十分に説明するには「ちくま学芸文庫」の1章分が必要です。
(それにこれまでも何度も繰り返してきたと自分では思っているので)
軽く、筋道だけを説明します。(ああ、長くなりそうな予感・・・)
*わたしは少し前に「多読の危機」ということをブログでしきりに書きました。
その意味は「多読を十分にやってきた人たちの中に、その先へ行けない」と
感じている人たちがいると思われるからです。
*そこでわたしはかなり遠回しに(今思えば遠回しすぎましたが)、
劇薬シャドーイングをすすめ、テレビ・ドラマや映画を字幕なしで楽しむことを
すすめたのでした。
どちらも、多読で遠くまで来た人に、もっと遠くに行く方法があるよと、伝えようと
したのです。たとえば劇薬シャドーイングはこれまでに貯めた外国語(英語)を
一度攪拌して、自然な沈殿を待って、熟成させて、活用しやすくする働きがあるの
ではないかと思われます。
また「やさしい絵本へ」戻って絵をじっくり見ることも、からだの中の英語を自然な
形で整理する働きがあるかもしれません。
*これから始める人にはできるかぎり「やさしい絵本から」をすすめます。
ただし、これからもずっと「やさしい絵本」だけがスタートだとは考えていません。
(やさしい絵本とわたしが言う場合は、「やさしい言葉の大切さ」を言っている
つもりでしたが、「スローガン」にしてしまったためにその点が薄れました・・・)
*今までにも多読はどんどん変化してきました。
10年前には Penguin Readers の EasyStarts からはじめたものですが、
ほどなく Oxford Reading Tree からはじめることをすすめるようになりました。
それ以降、Penguin Readers や Oxford Bookworms Library のような
段階別読み物(Graded Readers)の役割は次第に小さくなってきました。
*わたしが今考えている本は、いままでにない提案をすることになるでしょう。
ある人がfacebookでわたしに
「さかいさんはこれまでにとらわれずに先へ進んでください」
という意味のメッセージをくれました。ありがたくもうれしい気遣いです。
多読がそのまま読書になって楽しんでいる人はもちろんそのままで結構です。
ぼくもそういう人たちと一緒に本の世界を堪能します。(本の本のトピック参照)
けれども、多読は十分やったようなのに、どうも到達したい場所に届いていない、
という人たちを後に「先へ進む」ことはありえません、当たり前のことですが・・・
多読を続ければできるようになるかと思っていたことがまだできていないという
人はぜひ、多読相談のトピックまたはinfo あとまあく tadoku.orgにメールを!
トピックはここです。
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