多読の不思議は数々あれど・・・
熟成はその上位に位置するとわたしは考えています。
多読から離れている間に、離れる直前よりも英語がわかるようになっている!!!
そんなバカな・・・???
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そんなバカな! っていうことはこの10年間に数限りなくありました。
一つ一つは挙げませんが(いつかまとめなきゃいけないのですが)、
中1がスティーブン・キングを読んだ、70代後半の女性二人が多読開始後
8ヶ月でペーパーバックを読んだ、なんていうのはその一例です。
熟成については「おまゆ」さんが信じていて、4年間の停滞後に,
停滞以前に読んでいた本よりも難しい The Last of the Really Great Whangdoodles を読めたと言っているのです。
そんなバカな・・・
でも、熟成について、カナダのお母さんがなるほど・・・という説明をご自身の
体験から寄せてくれました。
酒井先生
ガーデニングに例えますと解り易いかも知れません。
おー、それは初耳だ。
<過去にした英語の学習方法は>
ショップで、花満開の植木鉢に植わった花を買い、並べ、即席のMyガーデンを作ります。
一見とっても見事です。顧客も大満足です=お金をかけたことだけの事はある!
当然プロが作った物ですから、「錯覚で」完成した気に成ってしまうのも頷けます。
が、後は枯れて行くだけ。。。
うん、つまり体の中に入った英語が「生きていない」のですね。
そういう言い方はわたしもよくします。
学校英語というのは卒業後は枯れるものですね。
水をあげても、肥料をあげても=どんどん忘れて行きます。
植木鉢を入れ替えても=中途半端な補完は無意味。
根っこ(この場合は、記憶レベル)は、ちょっと位植木鉢の穴から出ていますが=微々たるもの。
なので、再度ショップへ=最初から勉強し直しです。
例)学生時代にUCLAに留学した兄。
10年後仕事で英語を使う事に成ったのですが、全く覚えていず最初っからやり直しだったそうです。
途中何度か使う機会があり補完していたそうですが、その役には立たなかったそうです。
少しは覚えていた?と言う問いに対して答え「微々たるもので無意味」
だれだって、自分がしてきたこと、過去は否定したくないものです。
学校英語に意味があると思いたいのは分かりますが、
「微々たるもので無意味」と考える人はわたしの言う「冷静な人」ですね。
その「微々たるもの」にかけた時間を思い、その「無意味」な時間を
ほかのことに向ければどれほどのことができたかと考えると、
巨大な無駄、甚大な害としか言えませんね、嗚呼・・・!
<多読の場合の語学習得方法は>
土壌を創ります=先生に教わった通り。研究所でのUK版小学校教科書。感謝
研究所は言い過ぎです。電気通信大学のわたしの研究室でしたね。
今も東中野の事務所にあるリクライニング・チェアに座ってOxford Reading
Tree を読んでいた姿を覚えています。
そういえばわたしも土壌を作るという喩えを使うことがあります!
種を選別します=自分の好みのやり方を感じ取ります。
種を蒔きます=さあ、始めましょう!
成長に合わせ、水や肥料をやります=先生からのご助言・ご指導。感謝
根が生え始めます=「おさなご」が産声を上げます=脳の回線も伸び始めます。
芽が出ます=ちょっと英語に今までと違った「変化」を感じます。
熟成は、根っこ(脳の回線)が伸びたんですね!!
しっかりした土壌が有りますので、ほっといても伸びます。
この土壌をも「おさなご」と言えると考えます。
私の場合、「自分で自分の樽に穴を開けない」つまり「樽に触らない時間」は「極めて貴重」です。
なので、未だに英語に戻りませんが、
の~んびりと((実はかなり期待して(笑))&英語にはさよなら(^_^)/~~したよ~!って(笑)言って、
今を楽しみます。
感謝
「英語にはさよなら」というのは、熟成に入っているという喩えです。
熟成? 冬眠? それからどうなるか・・・ 楽しみです!
カナダのお母さん、報告をありがとう!!
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