前便のTed Nakanoさんからです。
ブログ読みました。まさか自分がdebateに関わるとは思っておりませんでしたが、やってみると、立論、反駁、総括のために必然的に事前の活動が多読になりました。[ある図書館通いなどしそうもなかった]帰国子女も自ら図書館通いしていました。いかに速い速度で情報を集めることが出来るかが勝敗を分けます。
Ted Nakanoさんは浅草の天麩羅屋さんでもしきりに「スピード」ということを言って
いました。
・・・ここから我田引水。
速度もまた、わたしがしばらく前からいつも頭の片隅に置いて、気にしていることです。
「よく理解するにはじっくり読まなければいけない」--これが世の中の常識で、
すでに亡くなった受験英語の神様なども速読などあり得ない、精読しかあり得ない、
という意味のことを言っていました。
わたしは逆に「さらっと読んで分からない文を、じっくり読めば分かるのか?」
という疑問を持っていました。20年近い時間が経ちましたが、
やはり速度は大事だという結論に達しつつあります。
その結論に大きく近づくきっかけはシャドーイングでした。
たとえ論説文といえども、書いている人の頭の中では朗読した時のリズムや
メロディが響いているようです。そうしたリズムやメロディとともに文章を
読まないことには、「わかった」とは言えないでしょう。
辞書と文法分析ではどちらも完全に失われます。
そこで、速度をもたらすのは多読--という我田引水でした。
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