「Kaakoさん」がドイツ語多読10万語報告をフォーラムにしくてくださいました。
いくつか remarkable な点があるので、フォーラムの投稿を紹介します。
* ゼロからだったということ
* 年間3万語ペースで3年かかっていること
* 途中にしばしば中断が入っていること
どれも知らない言葉を始めるのに、敷居をすごく下げてくれると思いませんか?
「Kaakoさん」がドイツ語多読10万語報告をフォーラムにしくてくださいました。
いくつか remarkable な点があるので、フォーラムの投稿を紹介します。
* ゼロからだったということ
* 年間3万語ペースで3年かかっていること
* 途中にしばしば中断が入っていること
どれも知らない言葉を始めるのに、敷居をすごく下げてくれると思いませんか?
12月28日と1月4日の リアナさんおしゃべり会 は、リアナさんが可能なら開きます。
なお、skunihide(表示名は さかい@tadoku.org)が起動している場合は
どうぞ文字チャット、あるいは音声チャット可能です。いつでも呼びかけてください!
12月10日に福岡県で英語の先生方を対象に多読についてお話をしました。
終わって、夕方からなつかしい福岡オフ会のみなさんと再会!
中でも「たまこ」さんとはほんとにひさしぶりでした・・・
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きょう12月6日の朝刊1面に「国はなくてもいい」という記事がありました。
やっと・・・ とわたしは思いました。
「国家」はもちろん「国」は用無しにならなきゃいけないとわたしは感じています。
最初にそう思ったのは10年近く前、前年にオックスフォードで知り合った青年が
ブリティッシュ・スクールで先生をやるために東京に来て、
それからしばらくしてまた東南アジアのどこかに転職していった時でした。
そのすがすがしさ、さわやかさは、「ああ、この人には国籍なんて関係ないんだ」と
思わせるに十分でした。
飛行機、テレビ、インターネット、地球環境問題、経済--どれをとっても
国や国家の境目を越えたものであることはよく知られていると思いますが、
個人のレベルでも「国」の境目がぼやけてきたのだと、
その時つくづく感じたのでした。
それから以後わたしはいつも頭の後ろの方で、
「国」がなくなる傾向がたしかなものかどうか、いつも気にしながら世界のニュース、
国内のニュースを見てきたような気がします。
そしてきょうの大新聞の記事・・・ わたしはこれが「国の終わりの始まり」を
告げる雄鶏の声であることを祈ります。
(世の中に「国」と「宗教」がなければ戦争は半分に減るのではないか?
どちらも支配者が被支配者を戦争に駆り立てる時にのよい口実になってきた。)
残っていいのは「くに」だけではないでしょうか?
ふるさと、という意味の「くに」はなくなりようがありません。
おっとここから先は非常に長い議論になるので、きょうはここまで。
いくら探しても見つからないのですが、スコットランドの首都エジンバラの図書館に
本で作ったsculpturesが現れた、という記事を書きました。
その続報です。
いいなあ、こういう遊び!
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