赤字のところが変更部分です!
【新たな旅へ・・・】と題して、もう半年以上、多読村の次の冒険のことを
ほのめかしてきました。
まもなくフォーラムの公開をもって、冒険の旅がはじまります。
その旅で目指す道を 【多読村宣言】 と名付けることにしました!
************多読村宣言(仮)************
正しく より 楽しく
頭 より まず手足
学ぶ より 使う
学んでから使う より 使いながら学ぶ
部分 より 全体
大衆 より エリート
質 より 量
Language learners より language users へ
Focus on words より transparency へ
Accuracy より fluency へ
******************************
現在は(仮) です。順番も言い回しも、十分練ったとは言えません。
だから (仮) です。
ちゃんとした「多読村宣言」は、9月に新しい意匠のページに掲げます。
(仮) の字が取れるように、みなさん、意見や感想や注文をください!
宣言(仮) の趣旨を理解してほしいので、「続き」に少し説明を書きます。
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* 正しく より 楽しく
これまでの英語学習は「正しい英語」を目指してきました。
多読村では、「正しい」ことよりも「楽しい」ことを優先します。
「正しい」は楽しくたくさん使うことについてくると仮定します。
(たくさん使ったあとで、必要があれば若干の勉強も考えに入れています。)
* 頭よりまず手足
これは比喩です。
いろいろ考える前にまず動こう! という提案です。
Skypeでみんなに英語を聞かれるのはどうも・・・ という場合に
この標語を思い出していただけるとうれしいです。
* 学ぶ より 使う
これまでは外国語は 「学んでから使う」 ものでした。
多読村では 「使う」 と 「学ぶ」は不即不離、即かず離れず、どっちつかず、です。
* 学んでから使う より 使いながら学ぶ
使いはじめるタイミングも、多読村では(わたしの知る)どんな「英語学習サイト」とも
違います。
「ある程度学んでから使う」 のではなく 「すぐに使いはじめましょう」!
多読がうまく行ったのも、最初から 「学習」 ではなく 「読書」だったからでは
ないでしょうか?
「ご自分の多読初期は学習だった」という人もいるかもしれませんが、
実はその頃も「何かを学んだ」というより「英語の本を1冊読み通した喜び」、
「英語で読書した喜び」だったのではありませんか?
*部分 より 全体
これは非常に大事ですね。
でも、これを入れると、ほかにもたくさん入れたいことが出てきます。
いいでしょう。出た物は全部足していって、みなさんの感想や意見を聞いて、
取捨選択することにしましょう。
で、「部分より全体」は「英語学習」とはまったく方向が違うので、大事です。
英語学習では、語も、文法も、音も、すべて部分部分を正しくして、
それを積み重ねていけば「正しい英語」に到達するという大前提があります。
(その不毛さはみなさんご存じの通りです。)
多読村では全体からはじまります。その最小単位は「文」です。
もちろん文の回りに物語がなければいけません。
文は物語に発展しうるいちばん小さな塊だと思われます。
語も、文法も、音も、文をたくさん重ねることで少しずつ分化していきます。
「あ、この語はあそこでも出てきた!」、「こういう時はいつも , said Kipper. だぞ」
「ワデガナドゥー の ワ は ワリュウェィディンフォ の ワ と同じか!」
という具合に、たくさん読み聞きすると 全体が部分に分かれていく のだと
思われます。
そうでした、この宣言は 「ボトム・アップ より トップ・ダウン」 とも言えますね。
(もちろん実際には 部分と全体は切り離せないし、部分より全体が大切、
なわけでもありません。ただ、多読村は世の中の「常識」を洗い流して、
好き勝手にできるようになるための場です。だから「多読三原則」と同じで、
敢えてこれまでの常識に反する部分を強調します。)
* 大衆 より エリート
本文の 「大衆 より エリート」を読んだ人が早速twitterでこういう感想を
送ってきました。(twitterってすごい! と、初めて思いました。)
おおー! 楽しみです! 「大衆よりエリート」が私はちょっとひっかかりました(エリートになりたくない臍曲がりなのです)。「秀才より天才」想定の範囲内で秀才になるより、なんだかわからないのになぜか想定外に対応できてしまう天才へ??
実はわたしの「エリート宣言」もかなり臍曲がりです。
おそらく回りの世の中のほとんどの人たちは多読村の住人をエリートとは見ない
でしょう。でも、わたしたちはエリートなのです! というのは・・・
大衆は・・・
英語を学習します。試験で自分を計ってもらおうとします。
他人が考えたレールをできるだけはずれないように、ほかの人の後ろを辿ります。
概して、自分以外のところに「従うべき道がある、えらい人がいる」と考えます。
エリートは・・・
英語を使います。試験で自分を計ろうとしません。
自分に合った道を見つけて、たとえ同じ道を往く人がいなくても、
一人で歩を進めます。一個の人間だという誇りがあります。
こうした、世間から見れば「隠れエリート」のことをもっと知りたい人は
いしいひさいちさんの「地底人」シリーズ、「最底人」シリーズを参照してください!
(それでもやっぱりこの項目は疑問が出そう・・・)
やはり出ました、いろいろな意見が。
たとえば エリートよりももっと徹底している 「大衆 より オタクへ」
なるほどね。わたしは実はみなさんにオタクになってほしいと思っています。
回りを省みずに自分らしさを追い求める--その時回りにはオタクでも、エリートでも
奇人でもなく「大衆」と見られていれば、もっといいと思いますが・・・
それから、これも同趣旨でとてもいいと思ったのは、「凡人 より 奇人」!
いいですねえ、これも!
でも「奇人」も「オタク」も、みなさんは多読村宣言として受け入れるだろうか?
みなさん、自分たちがどれほど「我が道を往く」変わった人たちか、
自覚はないようだから・・・
* 質より量
これは「正しい より 楽しく」の原型です。
質(正しさ) は 量(楽しいから続く) についてきます。
わたしたちは 正しいかどうかなんて気にしなくていいのです。
ただ楽しくたくさん使い、たくさん吸収するうちに、正しくなっていきます。
わたしたちが母語を獲得した道はまさに 量が質をもたらした のです。
もちろん以前から書いているとおり、急な必要に迫られたときは
ドーピングによって質を無理矢理底上げする場合もあります。
けれども運動選手のドーピングと同じで、長く続ければ毒になります。
* Language learners から language users へ
もういい加減、「学習、学ぶ、習う」のはやめにしましょう。
正しく とか、人に笑われないように とか、世間に出て恥ずかしくないように などと
邪念(スケベ心とも・・・)があるから「まずは ほかの人のやっている通りに」 などと
考えるのです。
まるで、自分のことしか考えない をさなご のように
learner を 飛び越して、あるいは抜け出て user になりましょう。
それで、うまく 「自分は user 」 と自分を騙せれば、learnすることも早くできるでしょう。
* focus on words から transparencyへ
細かいことですが、一つ一つの語 や 文法事項 に心を砕くのはやめましょう!
完全に語の意味を説明できた辞書などないし(用例は役に立つとしても)、
完璧に自然言語を説明できた文法などないのです。
語や文法が透明になって、内容だけが心または頭に残る--そういう読み方、
表現の仕方に向かっていきましょう。
* Accuracy より fluency
この表現はかつてわたしが提案して、みなさんのブーイングにより却下されました。
ひょっとすると今回も却下されるかもしれません。
みなさんの意見次第では今回も取り下げます。
しかし今のところはちょっとだけわたしの思い入れを聞いてください。
これも 「正しく より 楽しく」の変形ですね。
言語教育の分野から学術用語をそのまま持ってきた齟齬はあるかもしれません。
そういう意味ではいつでも取り下げますが、正しく より 間断なく とでもいうべき
頭の切り換えをうまく表現した宣言を募集します。
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さて、今晩はここまでにします。
今後も8月中はいつもこの項目をブログのトップに置いて、
みなさんからのメールや投稿を元に、ちゃんとした「宣言」になるように
磨きをかけていこうと考えています。
これからも よろしく お願い します・・・
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