リンゴとappleの話 に感想が届きました。

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「Sarah」さんからいただいたものです。

今日メイルしたのは、
リンゴとappleの話、なるほどー!
と感動したことを、お伝えしたかったからです。

英語と日本語は一対一対応しない、ということを考えるときって、
いつも単語帳(に毛がはえた?)レベルで考えていて、
コノテーションのことまでは意識していませんでした。
「暮らしの中の位置」ってことで、丁寧に説明してくださって
目からうろこでした!
ありがとうございました!

で、このことについては予てより、言いたいことがあって・・・

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何かと言いますとね、例の「語彙力増強」という話題です。

これについては、「fiona」さんが三次元の尺度を提案してくれました。
(http://bbs.tadoku.org/kb7.cgi?b=yayakoshiki&c=t&id=5497)

実際には言葉の中で「語」の果たす役割はいったい何次元になるのか、
だれもわかっていないと思いますが、fionaさんの提案は、
語の理解を 訳語の一対一対応 ではないと主張している点で、
貴重な提案だと思われます。

さて、Sarahさんがびっくりなさったという「暮らしの中の役割」でしたっけ?
--あ、「暮らしの中の位置」でしたね--それもそうした「語」の意味の一つ、
それもかなり大事な一つでしょうね。

みなさんを驚かせることになるかもしれませんが、「語」と「文法」は
簡単に切り離せるものではありません。「語」の役割のどこまでがいわゆる
「意味」で、どこからがいわゆる「文法」か、それは簡単に見極められるものでは
ないのです。

端的な例では I は 話している人を指すと同時に主語であることも示しています。
give という語の中には 所有権を渡す という 意味 と、何を 誰に という
文法的な役割の両方が含まれています。

二つを別々に「憶える」ことにはあまり意味がない、と表現することもできます。
語の意味も文法的役割もなんらかの文の中の中ではじめて検討に値することに
なります。

そうしたさまざまな次元の中で、特に大切なのは、わたしには、
「暮らしの中の位置」ように思われます。

ああ、これは長くなる・・・ 今後機会のあるたびに少しずつ小出しにすることに
しましょう。

で、わたしにとって大事なポイントを書く機会をくださったSarahさん、ありがとう!
またいつか蘊蓄オフで会いましょう!!