だれか(自分ではない人)の言う通りにやって自分がうまく行くなんていうことは
ありえない。「だれか」は「自分」ではないのだから。
うまく行く道は自分で見つけるしかない。
多読三原則はうまく行く道を提案しているのではなく、
いままで自分を縛ってきた(学校英語やお勉強の姿勢)から抜け出す道を
提案している。
つまり、三原則を守っているうちに解き放たれたあとは、
道を自分で発見できるようになる(はず)。
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なかなか過去から抜け出せない人に、劇薬シャドーイングのすすめ?
今にして思えば、三原則が 「・・・しなさい」 ではなく 「・・・しなくていい」という
形になっているのは、呪縛から自由になるためだったのか・・・
これからの tadoku三原則 (そんなものができるかどうかまだわからないけれど)も
「・・・しなさい」の形は避けた方がよさそう。
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