多読で受験 朋あり 遠方より来たる・・・篇

Pocket

時の彼方からおとなうてくれた(漢字にならない!) 朋がすぐにまたメールを
くれました。うれしいなあ・・・!

で、前便のわたしの「多読と学校の英語学習の折り合いをどうつけたのですか?」
という質問に答えてくれました・・・

***********************************

わたしが読みやすいという理由で、前便の Mちゃん を MMさん に変えます。

酒井先生、こんばんは。MMです。
先生のブログを拝見しました。
コメントも書いて頂いて、とても嬉しかったです!

私は読んだ語数こそあまり多くありませんが、本当に多読の影響を強く受けていて学校で英語の勉強が始まった当初は、教科書の“This is a pen.”という例文や「誰々は何々します。」で語られる物語文がいつも不自然だと思っていました。
何しろORTで初めて読んだ文が“Kipper wanted a party. / Nobody wanted to come.”でしたから・・・。
当たり前のように“Magic key began to glow.”と覚えてしまっているものを
「to+不定詞の~」と説明されるのがまどろっこしくて嫌でしたし、
この文法にはコレ!という訳を書かなかったら△がつくテストが返ってくるたびに
私の訳の方が自然だし面白いのに・・・と思っていました。

この感想は「リボンちゃん」が村祭りで語ってくれた感想とそっくりですね。

学校英語の「お定まり」がどうしても合わない・・・

英語は大好きなのに、テストの点数に納得が行かない状態が悲しくて
中2くらいから、「自分の英語」と「学校の英語」を分けるようになりました。
どういうことかというと「自分の英語」は蓄積や経験として身についたものなので、それを絶対的な基本としてその経験則みたいなものを「学校の英語」で確認していったんです。

これは折り合いの付け方として 「王道」かもしれませんね。

以前から書いている「多読で得た無形の知識を整理するために文法をかじる」
というのとよく似ているような気がします。このあと ↓ を読むともっとそういう気が
します。

この確認とは、自分の勘(経験)を確かめるという意味と、もう一つ正確には「出題者の意図の確認」です。
先ほどの例で言えば、「あぁ、magic keyでよく出てくるアレを、文法は何とかして説明しようとしてるんだな」ということです。
大事なのは、「文法的説明の中身」ではなく、「文法がアレを説明しようとしているという事実」です。

うーん・・・ なんというか、↑ このあたり、実に自分をしっかりお持ちだという気が
します。京大に行った「そふぃ」さんと、しっかりさ加減、そして方向(?)が
似ているのではないかな?

それさえ確認すれば、なんとなく出題者や学校の先生の気持ちも分かるので
あとは自信を持って自分の勘(経験)で問題を解き、訳をするときに少し採点者の身になって気をつかうようにするだけです。

1.文法的説明は聞き流して勘で解く
2.分からない単語は飛ばして、返り読みや逐語訳はせずとにかく英語は英語として読む
3.訳すときは自分にとって自然なものを書き、そこにつじつまを合わせていく(採点者に気をつかう)

この3つを大原則にするようになって、学校の英語ともうまく折り合いがつき、本当に楽になりました。

見事なものです・・・

見事なばかりか、驚くのは 1 です。
これはTOEICを受験しようとする学生にぼくが助言していることです。

考えたっていい知恵が出るはずないだろ?
勘で解くんだ! って。

そして 3!
出題者の意図を推測することはそふぃさんとの受験対策でやっていたことでした。
「採点者に気を遣う」って・・・ 絶句ですね・・・ この余裕! 言葉がありません。

大学受験の時に実感しましたが、センター試験に関しては勘で解いて問題ないです。
もちろん勘が外れる時もありますが、勘は使えば使うほど精度が上がるものなので、そこに過去問を解く意味があると思います。
酒井先生がおっしゃったように、私の英検の対策もここにルーツがあると思われます。

多読で鍛えた(?)勘と過去問--おそらくあらゆる試験対策の基本ではないかと
思われます。その道を一人で見つけたところに、わたしはまたしても絶句・・・

下の ↓ 「二次試験」とは、K大の(ありゃ・・・ もう伏せても意味ないですね、京大の)
個別試験です。

二次試験は、すべて下線部全和訳、全英訳の形式なので、上の2と3の心構えがとても役立ちました。
特に2が出来なければ、二次試験の英文はよほど努力しないと読むことすら苦痛だと思うし、一つ一つの単語や文法にとらわれながら訳している限り、文章としてぎこちなくなってしまうものが多いのではと感じました。
和訳は、全文をなんとなく理解し、下線部訳に関しては自然だろうと思われるようにできるだけ体裁をととのえて書く。

  ( ↑ 太字はわたしがしたものです。)

MMさん(わたしは「MxMxYxさん」と読んでいます)、
あなたはもう予備校の主任講師になっていいよ! 
平の講師ではとてもここまで大局的な(?)見方はできないだろうと思う。

京大の英文は和訳しながら読んだら、苦痛そのものです。
「飛ばし読み」ができなければ時間ばかりかかって、成果はほとんどないでしょうね。

  (もし飛ばし読みをせずに和訳で合格点を取ったとしたら、
   それは 英文和訳の公式を知っている ことを評価されただけですね。
   ほとんどの人が英文和訳の公式の知識で解答するので、合格できたのでしょう。)

英訳は、日本語にとらわれず「筆者の言いたいこと」をなんとなく吸収し、自分にとって分かりやすい簡単な英語をとにかく書く。
問題としては本当にシンプルですが、「なんとなく」が特意な多読育ちの人にはとても向いている試験だろうと思います。

これもそふぃさんと一緒にやっていたことです!

なんでまたこういう わたしが何年も受験指導して得た 知恵 をたった一人で、
初めての受験で 獲得できたのでしょうね?

なんだか謎が深まったような気がします・・・

おっと、大事なことを忘れるところだった。
どこの大学でも同じです。

  英訳は、日本語にとらわれず「筆者の言いたいこと」を
  なんとなく吸収し、自分にとってわかりやすい簡単な英語をとにかく書く

ことです!

上の和訳についての意見にも出てきましたが、なんとなく がキーワードです。 

「正確に、正しく、正しい」がキーワードの受験に 「なんとなく」!

長くなってしまってごめんなさい。
参考になるところがあれば嬉しいです^^

非常に参考になりました。

  (我田引水ですが・・・

   これまで受験についていままで予想してきたことをMMさんの報告が
   裏付けてくれたことに、わたしは勝手に、いたくうなずいています。

   現実を予想して当てるには  冷静さ  が必要なのです!)

ありがとう、MMさん!

いつかまたお会いしたいと思います・・・

Happy 京都 life!