第4項についての記事で書いたように、
こどもと親はとても微妙な力関係にあるような気がします。
こどもの言うことをどんどん受け入れる親も、
おとなの言うことを受け入れるのが当たり前になっているこどもも、
どちらもとても危険だと思います。
英語育児について言えば、いちばん危険なのは
こどもが親の言うことをどんどん受け入れて、親の期待通り、あるいは期待を越えて、
バイリンガルのようになっていく場合だと思われます。
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しかしその話題はまたいつかにしましょう。
今回お話ししたいのは、こどもと親の緊張関係です。
そして以下に書くことはすべてわたしが自分とこども、
そしてさまざまな親子の関係を見てきて思うようになったことです。
* こどもは、親に気に入られなかったら、生きていけないことを知っている。
したがって、こどもが親の思う通りに育っているとしても、
それはこどもが自然に(または、自分らしく)成長しているのではなくて、
「親に合わせている」可能性がありそうです。
* こどもは、いつか親がいなくなることを知っている。
したがって、いずれ自分の足で歩かなければ生きていけないことを知っていて、
そのために、親の言うことに逆らう。
親の言うことは、
正しいとか間違っているとか、
自分の気持ちに合うとか合わないとかではなく、
周りにめいわくかどうか、などでもなく、
「親の言うことだから反対」しなければならない。
そうやって、自分のことを自分で決め、自分の足で歩く準備をする。
* 上の二つを合わせて考えると、
親に合わせ続けたこどもはいつか緊張の糸が切れて、
極端な形で親に逆らう、あるいは親の元を離れるということになるようです。
* そこで、親はこどもの安全を考えつつ、手を放していく必要があるらしい。
矛盾していますが、もともとこどもと親はひとところで暮らしているのだから
当然利害の対立、感情のぶつかり合いはあります。
親が矛盾しているだけではもちろんありません。
こどもも親に近づきたい、近づいて安心したいという気持ちと
近づきすぎては足が強くならない、親の手を放して一人歩きできるように
ならなければ、という矛盾を抱えているのだと思われます。
いつか別れはくるわけです。
だから、親はこどもの手を少しずつ放していったほうがよさそうです。
どこかでどちらかが急に手を放したり、急に突き飛ばしたりすると、
両方が怪我をするでしょう。
できるだけ多くの場面でこども自身に自分のことを選択させたいものです。
(我が家は大事なところで、こどもの選択を親が左右してしまったかも
しれません。)
場合によってはその選択について親は意見を述べて、
再考をうながすこともあるでしょうね。
* ちょっと前までは、こうしたことはごにょごにょ考える必要はなかった。
親は仕事や子育てに忙しくて(?)、こどものことをいちいち考える暇はなかった。
ここで言う子育ては、こどもの頭や気持ちを育てることではなく、
体を育てることです。
こどもの体を育てるだけで精一杯だったので、
こどもは頭や気持ちの面で親の干渉を受けすぎることなく、
自然に放れて、独り立ちしたのだとわたしには思えます。
(このあたり、わたしのテーマの一つである「ながら」に通じるかもしれません)
何か、意見や感想があれば、ぜひお知らせください!
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