TOEIC対策 TOEICそのものを否定?

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最初にお断りしておくと、TOEICそのものを否定しているわけではありません。

わたしのTOEICについての評価は次のようなものです。

* いわゆるペーパーテストは人の能力を判定する手段としては手抜きにならざる
   を得ないと考えます。

    (お金と時間が許せば、言葉の能力を(特定分野について)もっと正確に
     判定する方法はいくらでもあります。)

* 選択式のペーパーテストの中ではTOEICの問題は大学入試問題などと比べて
   よい方です。

    (たいしたことはない、という意味でもあります。念のため。   

* でも、試験の形式に慣れるための準備を除いて、あらゆる試験準備は、
   緊急避難の場合を除き、否定します。

    (そこで、準備はドーピングと考えて、緊急避難の場合も最少限に留めたい!)

この話題の最初から登場してくださっている豊田高専の西澤さんからメールを
いただきました。

長文の、心のこもった内容です。
こんなに本格的なTOEIC論を本気で闘わせた例はあるのだろうか?とさえ思います。

* そこで、まずは西澤さんのメールをわたしのコメントはなしで全文引用します。

* その上で、西澤さんのトピックごとにわたしのコメントをつけて、
  それぞれ別の記事にします。

なお、わたしの考えている決着は「TOEICとはさみは使いよう」というところです。
はたしてどうなるか、お楽しみに!

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 酒井先生 西澤です

世の中のTOEIC一辺倒に見直しを求めたいという気持ちは分かりますが、
外資系企業の現状を根拠とするTOEIC否定は、多くの日本人英語学習者にとり不幸だと思います。自らの英語運用能力に自信を持てない多くの人は、自己評価できるようになるまで、なんらかの測定指標で、自らの進歩を測りたいと思うのが自然です。使い方を間違えなければ、TOEICは優れた測定指標ではないでしょうか(測定範囲が広く日本人の実態にあっていて再現性も高い)。

TOEIC受験対策は不毛だと思いますが、試験自体を否定するのはどうか?

「TOEICは単なる測定手段なので、その特質をよく知った上で、適切に使いましょう。」という方向に、議論が向かうことを期待します。

1)TOEICで測定しているのは低水準のFluency
外資系企業でTOEICが相手にされない理由は、TOEICで測定しているFluencyの水準が低すぎるからであって、TOEICがAccuracyを測定しているからではないと思います。(そもそもTOEICは、日本人の英語に関するFluencyが低すぎてTOEFLでは測定できないから、より低水準のFluencyを測るために作られた試験で、その低水準であることをかっこ悪いと考えた実施者がビジネス…という名前を思いついた、のではなかったのでしょうか?)その証拠に英語圏での生活経験のある子供たちは、ビジネスの知識も無しに高得点を取ると聞きますし、豊田高専の留学経験者も(ビジネスの知識無しに)平均約600点取ります。受験対策をしない学生は、多読経験とともにTOEIC得点が順調に伸びることを、(自己評価能力が育つまでの)一つの安心材料としています。私は多読の成果を測る試験としては(受験料は高いが)悪くないと思っています。
ただし、TOEICはインプット(聴く、読む)の処理速度しか測っていませんから、高得点でもアウトプット(話す、書く)能力は読めません。また、TOEIC得点とFluencyとの相関があるのは、おおよそ350~800点の得点領域で、低得点(350点未満)、高得点(800点以上)では、測定確度が落ち、Fluencyとの相関が弱まるように思います。その意味で普通の中学・高校生には受験意義が乏しく、また、(TOEIC 800点程度では、まだまだ他者の発言を十分聴き取れないので)業務で日常的に英語を使う人の能力は測定できないのだと理解しています。
TOEICで測定できるのは、英語を使える状態からどれだけ遠いか、どれだけ近づいて来たかであり、その意味で日本人学習者には、(ドーピングせずに受験すれば)意味のある試験だと思います。

2)TOEICをAccuracy測定試験として準備すること(ドーピング)の不毛
(あまり英語を必要としない?)日本の企業が、社員の英語運用能力測定のためにTOEICを採用し、大学工学部がJABEE(技術者教育のための外部評価)対応のために、卒業生の英語運用能力をTOEICで測定しようと考えたのは、低水準のFluency測定指標としてTOEICが使いやすかったからですが、TOEIC得点向上のために、(日本人の大好きな)効率的な受験対策(ドーピング)が模索されるようになったのが、不毛の始まりです。酒井先生がおっしゃるように、全ての試験には受験対策が可能でしょうから、仕方がないのかもしれません。この構図は、受験勉強が効率化を求めるあまり、数学教育の意義を貶めている現状とよく似ている(だからといって、「2次方程式の学習は無価値である」という発言は、表層的にすぎる)と感じます。
ドーピングが不毛なのは、本来Fluencyの測定手段であるTOEIC対策としてAccuracyを求めることにあります(もちろん長期間の受験勉強の結果としてFluencyも向上することはあります)。TOEIC対策問題集、単語集、文法解説を用いた学習がこれにあたります。また多読でも、(結果として)YL3の本を楽に読める状態でないと(ドーピングなしで)ある得点を取れないというデータが出ると、本来YL1の本を楽しみながら読んだ方が伸びる学生も、無理してYL3の本を読もうとする(その結果、いくら読んでも得点は伸びない)のであれば、TOEIC受験が災いになってしまっています。
大学の英語の授業が、TOEIC対策に変身している現状や、対策学習法の本が、書店の語学コーナーの大半を占める状況を見れば、TOEIC自体を否定したくなる気持ちも理解できますが、問題なのは効率よく高得点を得ようとする受験対策なのでは?

3)なら、TOEICとどのように付き合うか?(前回のメールと重複します)
・TOEICをFluencyの測定指標として利用する
・ドーピングをしない(そんな暇があったら、多読を楽しむ)
  外圧で必要となった場合は除いて
・頻繁に受けない(そんな金があったら本を買う、映画を観る)
・自己評価できるようになったら卒業する(もう受けない/TOEICマニアに付
 きわない)
では、いかがでしょう?

4)英語に悩まされる多くの日本人の立場に立った議論を
最後にお願いがあります。
多くの日本人にとり、英語学習は(どんな学習方法を取っても)やさしくはなく、長い道のりです。英語を使えるようになった人が、まだ使えなくて苦労している人に向かってする発言が、使えるようになった道のりを軽く扱うと、「それができれば苦労しないです」という違和感が残ります。外資系企業の現状を根拠とするTOEIC否定を展開する場合にも、この点に配慮し、「Fluencyがまだ低い学習者は、TOEICの代替手段として何を使ったら、より安心して学習を進めることができるのか」を加えてくださると、安心できます。
ご検討をお願いします。