をさなごのやうに 「スヌーピー」さんちのこどもたち

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前から書いていることですが、おさないこどもの多読(はじめは読み聞かせ)に
ついては報告を慎重にしています。文科省が先導・扇動する英語育児熱に油を
注ぎたくないからです。

ところが次第に読み聞かせによるよい変化がはっきりしてきて、どうも抑えがたい
ようにも思われます。とはいえ「英語育児はいかがなものか・・・」の一連の記事で
わかるように、この話題はとかく熱い注目と、激しい反応を呼びがちです。
なんとか世の親たちを煽らない形で、読み聞かせによる変化を冷静に
伝えることはできないかと、考えることが多くなってきました。

まだどういう形で公表するかわかりませんが、
当面は小出しにすることでお茶を濁そうかと・・・

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スヌーピーさんはこれまでにも匿名で記事登場しますが、今回はスヌーピーさんの
お子さんではなく、支援しているこども4人の様子なので、ハンドル・ネームを出す
ことにしました。

酒井先生にご報告したかった!

私が主宰している小さな英語教室の子ども達4人が、もうすぐ小学校と私の英語教室を卒業します。
英文法にはほとんど触れず、私の教室で絵本を読んでもらい、突っ込んでは楽しむだけ。
そうやって6年間、ほぼ英語絵本のみで英語力を培ってきました。
文字は自然に読めるようになった子もいれば、まだ苦しい子もいます。

そういうこどもひとりひとりの違いをそのまま受け入れているスヌーピーさんは
すばらしいです。つい最近もある学校で、多読に熱心なある先生が「どうしても
XXクラスの足並みが揃わなくて」と悩みを打ち明けてくださいました。

わたしはすぐに「足並みなんか揃わなくていいんです!」と言ってしまいました。
その先生が多読に熱心な先生だとわかっていたから率直に言えたのですが、
言い換えれば、そういう先生でも「足並みを揃えたい」と考えていらっしゃるわけです。
ひとりひとりの違いを大切にする(というより、一人一人を大切にする)ことの
むずかしさを思います。

中学入学まで2ヶ月を切ったので、初めて中学校の英語の教科書の英文を与えてみました。
どんな反応するかな。
私はずーっとこの日を楽しみにしていました。

「ニューホライズン」中1のUnit 1から。

Good morning.
I’m Emi.

「へ?」
皆、目が点でした。
子ども達の気持ちが私は分かりました。
だって、これ、文章じゃないもの。
なんで、こんなところでGood morningなんて言うの?
そのあとで、なんで自分の名前を言ってるの?

そうですか・・・ こどもたち、鋭い!

この2行が出てくるシチュエーションがなかなか思い浮かばないらしい。
会話はシチュエーションありきなのだと、この子達は感じているのです。だから
「おはようございます。私はエミです」
という単純な訳文を、すぐに納得できないのです。

よいなあ! よいですねえ!!

とはいうものの、Good morning. I’m emi. がどんな場面で発せられることば
なのか、それはかなりいろいろな場面とその場面の決まり文句に触れていないと、
想像しにくいでしょうね。

スヌーピーさんの4人の生徒にはどういう場面で使われることばなのか
わからなかったと思いますが、それは当然です。たとえばわたしの想像では、
空港に仕事上のお客を迎えに来たEmiが、お客さんに対して、迎えに来た
自己紹介をしている場面しか思い浮かびません。こどもに想像できる場面では
ありませんね。

続いて、
「あなたの名前を伝える文章を作りなさい」
という問題がありました。

半分の子が、My name is XXX と書きました。

慌てて、「違う、違う。I amを使って、書くんだよ」と私。
「なんで、My name isは違うの?名前を相手に教えるんだったら、My name isでもいーじゃん!」
と返ってきました。
なんでMy name isは違うのか…?

それは、教える側の事情だったのだと、ハタと気づく。
I am を勉強している単元では、I amを使ってもらわなければ困る。のです。
・・・うーん。そうだったのか。

中学の英語の先生は、善意で I という一人称の代名詞と、am という be 動詞の
一人称現在形を教えたいわけです、善意で。そこで、その場面でどういう風な
言い方があるかは考えずに、I am と言わせたい・・・

その次。

You are Ms.Green.

グリーンという姓に馴染みが無かったよう。Ms.は無視です。
「『おまえは緑』ってか?」
「緑って、何よ。」
「お前、ヘンだよ~」

…これが、本の中の一行なら、グリーンさんっていう名前の人がいるんだ、とわかったと思う。
Harvey Slumfenburgerなんて名前がでてくる絵本を、普通に楽しんでいたから。

うーん・・・ こども、するどい・・・
おとなのやるばかなことは残らず洩らさず突っ込んできますね!

とりあえず、「グリーン先生っていう人がいるのよ。」
と説明。グリーン先生に向かって言っている言葉よ。

「『おまえはグリーン先生だ!』って言うの?」
「まーさかー。先生だよ、相手は。」
「じゃ、なんでそんなこと言うんだよ。」
「グリーン先生ですねって、念を押してるんじゃない?」
「げーっ 先生に向かってぇ~? やるわけないよ~」

やんややんやで、進まない。

なんともいえませんね。You are Ms. Green. は本当にあり得ないでしょうね。

   (いや「あり得ない」というのは言い過ぎで、どんな文にもそれにあてはまる
    場面は探せるのです。ただ、それが非常に珍しい場合は、やはり「変な文」と
    言わざるを得ない。)

あるとすれば、記憶喪失になっている女性に、(なぜかMsをつけて!?)
「あなたはね、グリーンさんなのよ。」と説明する場面?

まったく検定教科書ってやつは!!

その次!

Are you Ms.Green?
Yes, I am.


「『あなたは、グリーン先生か?』って先生に聞く~?」
「ありえねー。先生に確認することって新学期でもないよな。」
「きっと、ドつかれるよ。普通にYes, I amなんて答えるはずないじゃん。」

じつによいなあ、この突っ込み・・・
まったくその通りです・・・ ひたすら小学生4人に、ダツボー!

そうねえ…、こういうのは?
新学期の登校途中、ある女子高生が若い男と出会う。からかわれて、
「んもう、失礼しちゃうわっ」
なーんて学校に着くと、新任の先生として、さっきの彼が紹介される。
思わず「あーっ!!!Are YOU Mr.Green…?」
男はにやりとしながら、ゆっくりと”Yes, I am.”
どう? 青春ドラマのオープニングにありがちじゃないっ?

「……くだらん……」
子ども達の冷たい視線。

わかりますよ、スヌーピーさんが無理矢理作った場面。
でもこどもたちには無理やりを見抜かれましたね。

でも、オーストラリアでホストファミリーに初めて会ったとき、
Are you Mr.XXX?
と聞けた子達。
英語ならスムーズなのです。
シチュエーションがあっていれば、スムーズなのです。
こんなところに、ぽこっと出てくるから違和感があるだけ。

そう、その「ぽこっ」ばかりなのが検定教科書の最大の問題・・・

次の文。

Are you from America?
No, I’m not.

「ありえねーーーーーーーっ」
「先生の答え、きっとこうだよね。
“NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!”」(あ、英語喋った。)
「Look(at me)!とか? 見りゃわかるでしょって。」
どっから見ても純日本人のおっさんである自分の担任を想像して、クスクス笑う女の子。

日本人の英語の先生だったら、聞くはずもない質問。子ども達の言っていることは分かります。
「でも外国人の先生だったら…」っていちいちシチュエーションを説明しなくては、納得しない子供たちなのです、彼らは。

↑ ここは最後に紹介するスヌーピーさんの解説をご覧ください。

そして、I am… You are… Are you…? と、みんなでこねくり回していたら、
一人の子がやおら立ち上がり、隣の子の方に手を置いて
“YOU ARE as good as anyone.”
言われた子は、彼を見上げ呟く。
“I AM as good as anyone…”
“Yes, you can be great!”
“I can be great?”
“Everyone can be great!”

一瞬のシリアスな空気の後、みんな大爆笑!!!
これは、年末にみんなで演じた絵本”Martin’s Big Words”(邦題「キング牧師のちからづよいことば」)の劇中にあった科白のやり取り。
キング牧師幼少の頃。アトランタの街中の至る所で見られるWhite Only(白人専用)のサインに胸を痛めるMartinを、母が上記の言葉で励まします。
そのシーンの、再現、というわけ。

中学英語の教科書を茶化し(本人達はそんな気はないでしょうが)、笑い転げる子ども達を見ながら、私は、やった!という気持ちでいっぱいでした。
まだまだ見えない英語力だけど、どうぞ、あの子達の心や頭に貯まった英語が、いつか花開く日が来ますように。
と願わずにはいられませんでした。

ほんとです。こどもたちは場面を伴った言い方ならどんなに「むずかしい」言い方でも
わかってしまう。それも最後の解説をご覧ください。わたしもまったく同感です。

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私のお教室の中で繰り広げられる、こんな小さな一コマ。
酒井先生には、どのように映るでしょう?
普通の先生(?酒井先生は普通じゃない?)だったら、何をダラダラ書いているんだと思われかねないのではと、少し思います…。
読んで下さって、ありがとうございました。

スヌーピーさんの報告のいちいちにうなずけるかどうか、それは普通の先生には
むずかしいことかもしれませんね。ことばを白い紙の上に印刷した黒い文字として
接しているだけでは、上の教科書の奇妙さに気づかないのは当然です。
(そもそも文科省検定の教科書を作った人たち、審査した人たちが全員見逃した!) 

そのことをスヌーピーさんはブログ掲載に同意してくださったメールの中で次のように
説明しています。

あの6年生たちは、
状況と言葉をセットで考える子供に育っている、
ということなのです。

状況のまったくわからない、あるいは無意味な
I’m Emi.
を説明するのに、あれほど遠回りする子達ですが、
あの、キング牧師の劇の練習をしたとき、
人種差別に悲しむ少年が、母の励ましを受けて、
I’m as good as anyone.
I can be great.
と言ったときの科白の意味を、誰一人尋ねてきませんでした。
as…as…の使い方や、canの「可能性」を表す使い方、など知らなくても、です。

I’m as good as anyone. は非常に「むずかしい」文ですね。
それを心で受け止めて、半年も経ってするっと思い出すこどもたち・・・
なんというやわらかな、しなやかな、そして頑丈な心なのかと感心します。

スヌーピーさん、報告、ありがとー!
4人のこどもたちがそのままやわらかくて頑丈な心を持ち続けますように・・・