多読と受験 多読で受験 Tsubasaさんから・・・

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「Tsubasa」さんから「そふぃ」さんに、お礼のメールが届きました。

実はもっと長いのですが、差し障り心配なさったので、短くしました。
でも、そふぃさんの報告に対する気持ちは十分伝わってきます・・・

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酒井先生、ご無沙汰しております。

 

 

今日先生のブログで読んだソフィさんからの多読と受験のメール、

すばらしかったです!!感動しました~~。

 

このあたりのくだりは、本当によく言い当ててくださった!!という感じです。

なかなか自分では言葉で表現できないのです。こういう気持ち!!

さすが、ソフィさんですね。

 

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〈最後に〉
言いたい事をほとんど 略で済ませたが、最後に一つだけ例を挙げる。「多読だけでは入試に出る難しい単語が分からないので不安で、やっぱり入試に出る難しい単語は単語帳や辞書で覚えなければいけないのか」と思っている人たちへ。
単語帳を使っていた時代の僕の経験を書くと、単語を覚える→しかしそんな単語出てこない→が、偶然入試問題で発見!→嬉しい→その単語を覚えた気になる→しかし自分で英語を書く時、訳す時にはその単語は使いこなせない
となる。
なぜだろうか。
今にして思うのが、単語ばかりに固執しすぎて、その単語が使われている文やその前の文・内容、またその後の物語の展開に気を配らなかったのが原因ではないかということだ。つまり、単語帳を使うことによる効果はマイナス。
一方多読ではこれと全く逆のことになる。
知らない単語が出てきた→この単語のある文の前の内容は○△□…な感じで、後の内容は×◎…となるのか→それだと■▲▼…な感じの意味になるのかなぁ→そのまま読み進む→また出てきた→今回は前後の内容がこんな感じかぁ→またまた出てきた→あっ、これってこういう意味なんだな、こういう感じで使うのかぁ
となり、
ん?これはこの間納得した意味と違う感じがするぞ→おー、こんな意味があるのか、こんな風にも使うんだな
となる。
このように身に付けた言葉がいっぱいになれば、入試問題でも知っている言葉ばかりになる。たとえ難しい単語が出てきても臆さないようになる。なんてったって英語はほとんど基本的な言葉で書かれているのだから。この言葉を多読で身に付けていれば、知らない単語も本文を読めばすぐに分かるようになる。その具体例を10例以上挙げれば分かってもらえると思う。が、ここも今は
略 。

 

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Tsubasaさんは児童英語教室で多読支援をしています。
せっかく多読で伸びてきたこどもたちが中学に入るとさまざまな
プレッシャーを感じて、きもそぞろになる・・・

親御さんたちも、先生たちが英検をすすめるし、高校入試も気になるしで、
不安になる・・・

そうしたもろもろの気持ちをご自分のブログに書いています。
題名は「なんでこんなことになってしまうのか。。。」です。

まったくです。
英検だけではありません。
世の中の試験狂い、資格狂い、検定狂いにはほとほとあきれます・・・
いまの日本にはとてつもない「数字信仰」が蔓延しているようです。
よほど先行きに対する不安、自分に対する不安が大きいのでしょうか?

   (わたしは児童文学専攻を名乗っていた時期がすこしだけありました。
    そのころ、「ファンタジー」を自分流に定義して
    「見えないものを見えるようにした作品」
    と言っていたことを思い出します。

    数字信仰は「想像力の貧しさ」とも言えるようなきがしますね。)

Tsubasaさん、がんばれ! わたしもがんばる!!