やはり母語(この場合は日本語)が苦手な人はほかにもいました。
匿名でなくてもいいということでメールをくださいましたが、
最初の人が匿名なので、この方も匿名にします。
(この話題は当分すべて匿名にしますね。)
***********************************
五年前から特別支援教育支援員として小学校に勤務し、主に発達障害のある児童や、その傾向・同じような困難を持つ児童の支援をしています。
支援の内容は勤務場所によって多少変わるとは思いますが、「教室を飛び出してしまう子供の安全確保」「読みとり、聞き取り、書き取りなどに困難がある子供の手助け、指導」などです。学級担任・教科担任ひとりではカバー仕切れないところをきめ細かく補助するということです。30代前半で初めて読んだ発達障害関連本は The GIFT of Dyslexiaで、そこに出てくる子供の困難はとても他人事とは思えず、大学や講演会などで勉強を始めました。
小学生の頃、私は「聞いて理解する」ことがとても苦手でした。どんなに一生懸命に先生の話を聞いていても内容が理解できない。そのために間違った物を家から持参してひどく叱られたり、質問の意味がわからず困って黙っていたら「YYYYさんのせいで授業が進まない」と先生に言われたり…。
(大人になってからも会議の内容がつかめずに焦ったことが何度もありました。)だから、「勉強というのは、先生の話が理解できる頭の良い子がするもので、私には意味がない」と思ってあきらめていました。中学に入学したときの決意は「みんながゼロからスタートする英語だけは、せめて人並みになるようにがんばろう」でした。
「教科書のテープをお手本にして、何度も聞いて何度も音読すれば英語はできるようになる」との先生のことばに、どれだけ喜んだことか。考えなくていいんだ!お手本のまねをすればいいんだ!と。そして初めてオチこぼれから抜け出すことができたのです。
なるほど! それでYYYYさんの英語の音は元の音に近いのですね。
ある講演会で出逢った発達障害専門の医師に小学校時代のエピソードをお話したら「それは…立派なLDでしたねえ」と言われました。そして「よくここまで頑張ってこられましたね」とも。
実は最初の「漢字が苦手」な人も、「よくここまでがんばってきた」とわたしは
敬服しています。
支援の仕事に進んだ大きな理由は、小学生時代の自分が可哀想で、タイムマシンがあったらあの時代に飛んでいって、そばにいて「大丈夫だよ」と言ってやりたかったからです。「そんなに不安にならなくてもいいんだよ」と。そして支援してやりたい、そんな自己中な動機なんです。
今は、特別支援教育があり、支援員が配置され、以前よりは「きめ細かく」指導がおこなわれている(はずです)。国の予算では、各公立小中学校にひとりは支援員が配置されている(はずです)。実際は学校にひとりの支援員ではとてもとても足りません。たとえば、教室に入れない子供がいれば、その子に付ききりになり、その間はほかの学習上の困難を持つ子供の支援ができないわけです。
ブログの「漢字が苦手」な方の話を読んで、とても胸が痛みました。今でも文字を読もうとすると緊張する、というのは、読めなければならない状況を何度も何度も体験されたからだと想像します。お子さんに読み聞かせをしてもらったり、好きな絵本に出会えたのは本当に良いことでした。最近読んだ本に「苦手克服のための練習よりも得意なことを伸ばすことが大事」というような記述がありました。好きなことを楽に。そして、書字の苦手なふ~んさんがパソコンを利用したり、聞いて理解するのが苦手な私がやたらに発言者に質問したりメモを細かく取ることは必要な「力」です。
自分の弱い面を知り、周りに援助を求める力も大切なのです。以上、長文のわりに内容が半端ですが、よろしくお願い致します。
ご自身にもつらい思い出にちがいありません。YYYYさん、ありがとう・・・
これからもこういう話題についてはご意見を伺いたく思います。
よろしくお願いします。
最近のコメント