ある児童英語の先生(YYYさん)から、わたしが「haruharu」さんに書いた返信を
読んだ感想が届きました。
「英語を教える」という仕事にもなかなかつらい面があります・・・
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YYYさんは「心を打たれた」と書いていますが、それは英語を教える身の複雑な思いの
せいかな、とわたしは自分に引きつけて考えました。
haruharuさんへの返信を読んで、心を打たれました。
私の多読クラブにはDWEを使って英語育児をされている方が
数組いらっしゃいます。お子さんがときおり発するきれいな発音を聞いたりすると、
うっとりするほどですが、なんだか常に違和感を持っていました。自分が英語育児をしなかったから、これは嫉妬なんだろうかと自分を
疑ったりもしました。
このあたり、冷静ですねえ!
メールをブログにいただいていいだろうかと問い合わせたら、お答えの中に
英語育児をしなかったのはたまたまです、信念があったわけではありません、
と書いてあって、またまた正直な人だと思いました。
嫉妬だろうか? というのもとても正直な疑いですが、嫉妬ではなかったようです。
親子で本を楽しんでもらうのは大歓迎なのですが、
この違和感は何なのだろう、と。酒井先生の記事を読んで、先生が危惧なさっていることを
私も漠然と感じていたのだと納得しました。
涙がこぼれそうにもなりました。英語に振り回されて不幸になる親子がいないことを願います。
わたしが心配していることはまさにそれです。それだけです。
振り回される、と言うといかにも不幸な場合だけを頭に描きそうですが、
haruharuさんへの返信でいちばん強く言いたかったのは、
幸福な場合、つまりうまく言ったように見える場合にこそ危険がありそうだという
ことでした。
もう一度強調することになりますが、痛切な自戒を込めております・・・
YYYさん、ありがとう!
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