「たこぼ」さんは最近遠方から近距離に越してきました。
で、遠くでなければ会えなかった幻の(?)「たこぴょん」くんに会えるようになって、
わたしはとってもうれしいのです!
で、たこぼさんからのメールです・・・
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酒井先生
ご無沙汰しています。たこぼです。
先生のブログをいつも読ませていただいていますが、あくまでも自分の楽しみ
として多読を続けている私としては、皆さんが熱心に考察されていること、
先生が論じられていることを失礼ながらつらつら斜め読みしてしまっている
状態なのですが、ここ数日の「優しい言葉をたっぷり吸収する」「児童書と
ペーパーバックの関係」にはぼんやりと考えさせられることがあり、自分の「4
年半の多読を続けての今」をお知らせしたくなりました。4年半近くも経ってやっと200万語を超えました。当初の予定よりかなりゆっくりです。プチ停滞の繰り返しですから。
ゆっくりでもいいのかもしれない、ひょっとするとゆっくりのほうがいいかもしれない、
少なくとも「早ければ早いほどいい」ということはないのではないかという考察を
このごろはしております、はい。
でも最近、DahlのMatildaを読んでいたときに、英文を和文と同じ速さ、
同じ感覚で、ものすごく感情移入して読んでいる自分に気付いたんです。
お! これはすごい!! いいなあ!!!
Matildaが自分の中の不思議な力を発揮してしまい、自分でも戸惑っているところ。
特にこの文章です。She knew she had to tell somebody about what had happened with the glass.
She couldn’t possibly keep a gigantic secret like that bottled
up inside her. What she needed was just one person, one
wise and sympathetic grown-up, who could help her to understand the meaning of this extraordinary happening.特別難しいような文章ではありませんが、自分の中に入ってくる勢いが、
日本語の文章を読んでいるときと全く変わらないものであると感じたのです。
この文が英語である意識とか、日本語で表現すればどうなるかとか、あ、これ
は知らない単語だ…とか、そういうことは一切なしに、ストレートに入ってきたのです。そして、Matildaの困惑した表情や、彼女の目の前にしっかりとした存在感を示して座っているMiss Honeyの横顔が、映画を見るように浮かんできたのです。これは、先生がおっしゃるところの「精読」でしょうか。そんな読み方ができる
ようになったのでしょうか。
なったのですね、まちがいなく!
それとも、Dahlのドラマチックな文章が、そのときだけ私を感動させただけな
のでしょうか。
そうですね、これが多読的精読ですね。そのものなのではないでしょうか。
でも、もう一方で、ドラマチックな文章が、そのときだけたこぼさんを感動させただけ
とも言えます。
ただ、そうやって「ドラマチックな文章」だとわかることが、わたしのいう多読的
精読なので、やっぱり「そのときだけ」っていうことはないような・・・?
なんだか鶏と卵?
それに、この部分を訳してくださいと「英語学習」の人に言ったら、かなり苦労すると
思います。文章の構成がかならずしも「やさしい」とは言えませんね、英文和訳的
には。すくなくとも「中級」くらいのむずかしさでしょう。
たとえば、just one person, の , の役割は? などと文法的な説明を
求めたら、答えられない人がほとんどでしょう。
それはおそらくたこぼさんにも答えられない(失礼!!)
けれどもこの場面はたこぼさんの目に焼き付いている・・・そんなのが多読的精読
なのだとわたしは考えています。
実は、私にも難しいなぁと思う児童書が沢山あります。言葉遊びを楽しむ
ように、シンプルな文章で、すっこんすっこんと話を先に進められると、
なんとなくきつくて楽しめなくて、早く終わんないかなぁという気持ちが
湧いて来ることがあります。YL2以下なのに…です。
YL はまあ、いいとしましょう・・・
Jacqueline Wilsonは、最初の頃は難しいと思っていたのに、彼女の作品
が大好きなので、難しいとは感じなくなりました。(でも、Wilsonの直後に
Judy Blumeを読んだ時には、あまりに読みやすくてびっくりしましたが。)
Sacherも内容の濃さで勝ち!
Sheldonも面白くなってきたら、難しい感覚は薄れてきちゃうし。
ほーら! やっぱりゆっくり200万語の威力はすごいと思うな。
Judy Blume が「あまりに読みやすくて」、Sachar の「内容の濃さ」に
引っ張られて・・・ どれも英語の読書が日本語の読書に近づいている徴だと
わたしには思えます。
で、Jacqueline Wilson は決してやさしくないです!
(読みやすさは読者の胸の中にアリ、みたいなことを常に言ながらこう断定する
のはおかしなものですが・・・ 大多数の人はむずかしく感じるだろう、という
意味だと思ってください)
結局、好き嫌いが自分の精読度を左右しているような気がして、児童書より
読みやすいPBがあると聞かされても、私にはどうかなぁ…と思ってしまい
ます。(おもしろがるのと精読ができるかどうかは別ですか?)
そこなんですってば!
おもしろがることを多読的精読とわたしは呼んでいます。
(だからペーパーバックを読もうと読むまいと、それ自体はどうでもいい。
読んでみて、好きになるペーパーバックがあるかどうかですね。
ないとしたら、たこぼさんの好きなペーパーバックを出版しない世の中が
悪い!)
たとえば例の13語の文だって、学校英語風に平板な映像を思い浮かべたら
おもしろくないでしょう? 文法分析もなにもできないけれど、生き生きと場面が
目に浮かんで、心に残る・・・ それが読書の楽しみだし、多読の醍醐味ですよね。
わー! うれしかった!!
たこぼさん、ありがとー!!!
みなさん、ぜひぜひ、学校で知らないうちに身に付いてしまった判断基準を去って、
身軽に、敏感に本に揺さぶられましょう・・・
ところで、たこぼさんのメールは見事に最近の二大話題を溶接しています。
だれにもどこでつないであるかわからないのじゃないかな?
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