児童書とペーパーバックの読みやすさ関係! 続続続続続続続続続続報

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前便つまり「美しい誤解」の記事で「雫」さんが言っているように、
書評はすべて主観的なものでありまして、だれにでも当てはまるとはかぎらない・・・

で、「レーヌ」さんは雫さんの「読みやすいペーパーバック」に、
「わたしは読みにくかった!」と、突っ込んでくれました。

これこそtadoku.org・・・

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ブログの22日付で紹介されていた雫さんの「易しいペーパーバック」のThe Lady Elizabethはおそらく私も読んだAlison Weirの作品だと思うのですが、私にとっては読みにくかったペーパーバックで、10ページぐらいで投げました。元は歴史家だった人で、最近は歴史小説を書いていますが、この人の文章は私にはわかりにくい。
 私とよほど相性が悪いのか、普通は内容はおぼろげにしかわからなくても、否定か肯定かはわかるのですが、この人は全く逆で、内容は結構細かくわかるのに、結局どっちだと言っているのかがわからない。
 私にとってはとても特殊な作家です。
 雫さんのように読みやすかった人もいるのでしょうし、私のように読みにくかった人もいるのでしょう。というわけで、読みにくかった報告でした。

相性ってのは・・・ あるもんです・・・

いや、その、いろいろ考え出すとね、相性ってね、悲しいもんです。

いやいや、それはあまりに個人的な想いにふけり杉なんですが、
ことほど左様に多読=読書は個人的なもの。
雫さんには読みやすかった本がレーヌさんにはとっても読みにくかった・・・

言ってみれば そういう違いこそ 読書の醍醐味! でしょ!

多読がまだ「学習、お勉強」の人たちはこれがわかりにくいのだろうと想像します。
学習している人たちには一本道しか見えない。いや、道というよりは学習はレールで、
すでに決まったレールをできるだけ速く進むことしか頭にないから、学習とは違う道が
あって、その道ではこっちの道とは全然ちがう価値判断がされたりすることに思いが
至らない・・・

多読道は一本道! みたいに世の中に思わせている原因のひとつにSSSのYLが
あると思います。SSSのYLはわたしも作った一人と言われても仕方がないので、
反省を込めて「YLと鋏は使いよう」と言っておきますが、おなじことをまりあさんが
書いています。

http://buhimaman.at.webry.info/200906/article_5.html

実に示唆に富む「YL論」で、何をするにも自分が主人公、自分の足で立って、
自分の靴を履かなきゃいけない! ということを諄々と説いています。
(と、わたしは読んだ・・・)

雫さんの意見、レーヌさんの意見、絶対基準のように見えるSSSのYL、
まりあさんの「冷静な」観点、さまざまなものを見て、ご自分の意見を形成され
ますよう・・・ 老婆心ながら・・・ いや、老爺心ながら・・・